七尾コラム

2009年07月15日

「児童虐待」を考える

昨日は、全国の児童相談所に昨年度よせられた『児童虐待に関する相談件数』が「4万2、662件」で過去最悪、というニュースを受けて、児童虐待の電話相談や、医療関係者などに、虐待を受けた子どもたちの診察に必要な特別なトレーニング、コーディネーションなどの様々な活動をされている民間の団体、「子どもの虐待防止センター」(http://www.ccap.or.jp/ )に取材に伺いました。
そこでお話を伺う中で、このブログで共有したいと思うお話ががいくつかありました。

同じく虐待に関する調査で、「養護施設などに入所する児童の約5割が虐待を受けた経験がある」という結果。
この「5割」という数字ですが、これは今回改めて調査をして浮き彫りになった数字であって、衝撃を与えましたが、実際に子どもの虐待の予防に取り組んでいる現場の意識からすると「本当はもっとずっと多い」だろう、ということです。
というのも、、、たとえばこの「5割」の中には、「母親が行方不明」というケースは含まれていないのです。
これはしかし、子どもをおいて「立ち去る」、子どもは「放置される」ということですから、「ネグレクト(育児放棄)」という明らかな虐待に当たります。
研究者の間では、実際に「暴力」を受けるよりも、「放置される」(ネグレクトされる)ほうが受ける心の傷が深いことが知られているということです。

日本では、虐待=暴力という先入観が強いため、実際に死に至る可能性もある「ネグレクト」ということ自体が「虐待」に当たるという認識が社会で広まるには随分時間がかかったようです。
その認知を広めるために、こちらのセンターの創立者である小児科医の坂井聖二さんはご尽力されてきたとのこと。

こちらの発行しているニュースレターを頂いて、少し勉強する中で改めて感じたことでもあるんですが、やはり虐待というのはそれを生んでしまう社会的要因が大きくあるということ。

子どもと親が孤立してしまって、そこにストレスが溜まる。また性的虐待になると、診察する医師やカウンセラーにも特別な訓練が必要になってくるのですが、現場では必死の取り組みが行われているとはいえ、やはり予算も人出も足りていないという状況のようです。

「ネグレクト」に関しても、母子家庭で、何とか生活してゆくために、子どもにまともな生活をさせたいという一心で、日中はパートで働き、それでは足りずに夜も働きに出るシングルマザーがいる。
でも結果として子どもは夜一人で家にいることになり、「ネグレクト」になってしまう、子どもにはよくない、、、。
それはでは母親のせいか、というと、「そうではないのです、そこに支援を手をさしのべることも必要なんです」というふうに相談員の方はおっしゃっていました。

また、ニュースレターの中に、ある養護施設の職員の方が匿名で寄稿されていた報告があり、とても心が痛みました。
養護施設に保護された子どもたちの全国的な交流会の場で知り合った関西方面の養護施設で育った虐待を受けた青年の話です。
彼から電話があって、年末年始に日比谷で設置された「派遣村」に一緒に言って欲しい、と頼まれたところから、養護施設出身者がおかれる厳しい生活環境の実体をまざまざと感じられたそうです。

養護施設に入る子どもたちは、実質18才になると独り立ちしなくてはいけません。
成績がよくても、学費を払ってくれる親がいるわけでもなく(親から保護されて入所する子どもたちですから)進学を諦めなくてはいけない。
保証人も、最初は寮の人がなってくれても、その後引っ越しや転職をするときには保証人のなり手がいなくて家を借りることが難しい。
結果的に、住み込みで働く派遣労働者が手っ取り早く、魅力的に見えて、養護施設出身者の多くが派遣労働者で、会社に提供される寮で生活している、ということのようです。それが昨年の金融危機に端を発した日本の製造業の「派遣切り」の嵐の中で、路頭に迷ってしまう。

報告を書いた養護施設職員のかたによると、日比谷の派遣村では多くの養護施設出身者に会った、ということです。
世間では「なぜ実家に帰らないのか」と言う人がいるけれど、実はあの場所に集まった若者の中には「家も家族もない」という人が多くいたんですね。

養護施設についてですが、行政の予算も削られる一方で、ケアマネージャーも、職員も、人出が足らず、ひたすらバーンアウトして行っている状況とのこと。

虐待を受けた人が、また自分の子どもに虐待を繰り返すというケースが多いことは(様々な要因があります)よく知られていることです。
心に傷を受け、きちんとケアされないまま、社会保障もなく、住む場所も無く、社会の荒波に毎年多くの若者が放り出されていることを考えると、いたたまれなくなってきます。

選挙前の嵐が吹き荒れていますが、政治ができることはたくさんあると思います。

■社会福祉法人 子どもの虐待防止センター
 相談電話 03-5300-2990 (全国・相談無料)
 月~金 10:00~17:00
  土   10:00~15:00
 日・祝  休み

投稿者:七尾藍佳

2009年06月02日

GM破綻とM&A件数、日本で急増について考えること

昨日は、アメリカでGMがチャプター11の手続きを取った=経営破綻した、影響について、GMの量販車をメインターゲットにサスペンションを納入している日本の部品メーカー、ヨロズに取材に行きました。全体の売り上げの2割弱がGMということで、確かに影響は小さくはありません。

ところが佐藤社長にお話を伺ってゆくと、昨年末頃からGMの破綻の可能性が指摘されてきた中、できる準備、対策は全部やってきた、ということで、それほど不安におののくということではなく、冷静に対処しているし、また冷静に対処できる、というお話でした。

それは、要するに徹底的なリストラクチャリングを行い、ムダを排して、スリムかつ競争力の高い会社にしてゆく、ということです。

この会社、元々は日産の系列だったんですが、ゴーンさんが経営を主導するようになって、日産が系列解体を行ったことにより、自分の足で販路を開拓・開発して生き延びなくてはいけないという試練の時代がありました。そのころ、売り上げも減少していた時期もあったそうです。系列解体の頃がざっと売り上げが700億だったのが、その後系列にとらわれずに世界中の自動車メーカーに売り込んでいったところ、売り上げがのび、2004年頃には1400億ぐらいと、まさに売り上げが倍増。危機をチャンスに変えたんですね。

その裏には秘密がたくさんあって、たとえば海外で生産するときも、部品の生産を落とさないだとか、そういった地道な努力をたくさんやってきているということでした。

このコストカットの嵐の時代でも、開発への予算は削らない、ということは至上命題にされているそうです。いつか需要が戻ってきたときのためにベストの商品を提供できるように、、、ということですね。

GM破綻、という決して明るくはない取材であるにもかかわらず、社長をはじめ社員の方が明るく元気で前向きだったのが非常に印象に残りました。

一時は、日産からアメリカの会社に株式が渡り、外資系だった時期もありましたが、その後自社株を買い戻して、今は独立系として頑張っています。

それは大分前の話しになりますが、このヨロズの株式の取引もいわゆるM&Aの一つであります。企業の株が買ったり買われたりして、持ち主がかわったり、合併したり、離れたりする。

昨年一年間は、アジア太平洋地域のM&A件数は、中国がトップでした。日本は抜かれていたわけです。それが、ここにきて日本におけるM&Aが盛んになり、中国を抜いて一位になった、というニュースが米経済紙ウォールストリートジャーナル紙アジア版で伝大きく伝えられています。1~3月期は、全体としてのM&A件数は20%近く減少しているにもかかわらず、日本は全体の30.6%を占め、中国はは19.5%だそうです。

これはどういうことか?先日、外資系アクティビスト(=モノ言う株主)・ファンドであるスティールがアデランスに提案した役員が株主総会で可決された、というニュースが流れました。これは、海外では「日本で初めてアクティビスト(=モノ言う株主)の手法が通った」とかなり大きく報じられていました。
スティールは、日本では当初「ハゲタカ」と呼ばれることが多くありました。厳密にいうと、外資系金融の世界ではスティールは<アクティビスト>(モノ言う株主)であって、vulture=ハゲタカだとは捉えられていません。

M&Aというのは、ドラマなどで話題になってきた<ハゲタカ>によって行われるというう印象を与えがちですが、今日本で増えているM&Aはそういう性質のものではありません。

ではどんなM&Aが日本で増えているのか?

むしろドメスティックな企業が、自分たちが生き残るために企業体質を改善するために行うM&Aが多くなっているのです。たとえば、日立や伊藤忠などの大手企業が、以前は参加にあったけれど現在は独立している部門の株を買い戻したり、あるいは逆に不採算部門を切り離す、というM&Aによって、経営体質の改善をはかろうとしていということです(WSJより)。

これは、GMが破綻するような現下の経済状況と直結しています。

例えば、同じグループの会社を100%子会社化することによって、素早く経済状況に対応することができます。また、優良な企業である場合(技術や優良資産を持っているなど)、他者に狙われる可能性も出てきますから、早めに自分のものにしておきたい。こういう背景があって、今年のマネジメント・バイアウト(経営陣が自社株を買い戻す、など)は昨年のほぼ二倍の件数になっているそうです(WSJより)。

しかも日経平均はいまだ低い。だから株価で言うとお得感がある。今買わない手はない、、、ということになります。というわけでM&A件数が増えているのです。
これは日本の生活者の観点からいうと、よい点と悪い点があります。
ここにご紹介したようなM&Aが多いということは、不況下でさらなる各産業の再編と淘汰が進む、ということです。

それは、より厳しい経済状況に迅速に対応できる筋肉質な企業を作る、ということになります。良く言えば。
経営側の観点から、また日本経済の観点からすると、それは必要不可欠、ということになります。
日本経済が再活性化するためには、少なくともやらなければいけないことであることは確かなのでしょう。
ただ、いわゆる「派遣切り」などで、私たちは「迅速に経済状況に対応できる効率のいい経営」が、働く人にとって時にどれほど冷酷になり得るのか、思い知りました。

それは、「効率よく労働力を調整できる」と同義でもあります。

「不採算部門の調整」も、「調整される人材」が否応なく出てきてしまいます。

もちろん、調整されて、新たな経営者のもとで立ち直れる企業だってあるでしょう。
色々なケースがあります。ただ、企業としては「経営努力」はやはりやらざるを得ない。
でもそこで厳しい立場に立たされる人が出てくる。そこを政府・地方自治体・コミュニティでサポートして行く、、、。
様々な政策が国会で議論されていますが、日本人としてこれからの社会保障や、セーフティネットをどう考えて行くのか、みんなで話をしてゆくのが大事ですね。

投稿者:七尾藍佳

2009年03月27日

WBC!

WBC日本代表の凱旋帰国の瞬間を取材するため、成田の到着ゲートにて取材をしました。

ものすごい熱気と歓迎ムードでいっぱいの成田、取材していてもハッピーな気持ちになりました。

珍しいラルフさんとの取材現場ツーショットです。(写真は25日です)

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投稿者:七尾藍佳

2009年01月15日

「グーグーだってINである」

「グーグーだってINである」

大島弓子さんのマンガに「グーグーだって猫である」という作品がありますが、この書き込みのタイトルにある「グーグー」は猫ではありません。
正しくは 「Goo-goos」という英語で、基本的には複数形で表されます。

これは「good government types」 の略です。
つまり「良い、グッドな政府」というものを推奨するひとたちのことをまとめて「goo-goos、グーグーたち」と言うわけです。

これは、大恐慌への一連のNEW DEALという対策をすすめたフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領の時代のアメリカで使われた呼び方で、ニューディールと共に大挙してワシントンに押し寄せた若く、政治的希望(とそしてポジティブな野心)に満ちあふれたテクノクラートたち、のことを指します。公共政策で不景気から社会を救おうと考えた人たちです。

彼らは、限られた人たちに利益が配分されてしまう「小さくても不健全な中央政府」でPork Barrel Politics (もともとは豚肉保存用の樽、ですが、連邦議会議員が選挙区の利益のため政府の補助金を獲得することを表す米語です。ランダムハウス英和大辞典参照)と揶揄された腐敗した政治を改革して、「make government bigger and CLEANER」、政府を大きく、かつ「クリーン」(きれいに、清潔に)にすることをモットーとした人々。
アメリカのリベラルの間では(特に最近GooーGooについて書いたポール・クルーグマン氏をはじめとして)「政府」へのこういった視点を再評価する必要性が言われはじめています。

もちろん、日本とアメリカは行政機構、政治システムが違いますから、これは飽くまでアメリカの話しではあります。
ただ「政府」というものが「大きい」 =イコール = 「汚い」 という考え方自体、あるいはその前提について、問い直してゆく姿勢は大事のように思います。
つまり、どうせ腐敗してしまうから、ならば小さくしたほうがいい、という考え方ですよね。

でも、政府の役割というのは、どんなにスリム化して小さくしたところで、やっぱり「大きい」ことに変わりはないわけです。それは国民全員のサービスをまとめてやっている非営利機関ということで、本質的にそういうものです。
システムの大きさ、組織の大きさ、金額の大きさ、「政府の大きさ」に関しても色々な「大きさ」があると思います。

今のような流動性トラップにおちいった金融危機においては、政府が行う財政出動の「額の大きさ」、あるいは各国の中央銀行が行う「unconventional actions」「従来とは違う新しい対応策」(おもにCPを購入したりとか、そういういことが現在議論されています)の規模の大きさ、になるでしょう。
あるいは軍事的な危機では各国の国軍の「規模」という大きさが問題になります。色々な「大きさ」があるのです。

日本ではずっと「官僚システム自体」の「大きさ」が議論されてきました。大きすぎて「ムダ」が多かったり、あるいは「権力」が集中しすぎてアメリカの議会であるようなpork barrel politics が霞ヶ関と永田町一体となって起きて、腐敗と汚職の温床になってきた、ことが長年の改革課題となっています。

日本ではずっと、「大きさ」が「汚れ」を生む原因となってきた、というのが大方の見方です。もちろんそれは確かです。組織が大きければ大きいほど、個人が組織の力を自分の力だと勘違いしてしまい、「公」の意識を忘れてしまいがちです。

でも、本来的に「大きい」 と 「きれい」 であることは二律背反であるわけではないのです。そこを見誤ってしまうと、「小さくする」ことが「正しい」ということが目的化し、非現実的な政策が実現してしまったりします。医療費拡大を抑制するために行われた医師数削減などの数々の施策が、今になって私たちの生活そのものに脅威を与えることが起きてしまったりするのです。

求められているところでは「政府」は「大きく」あることも必要なのです。なおかつ「きれい」であることが大事です。

ただ、これを成立するためにはやはり「個人」の力が必要になってきます。その力とは、「モラル」「正義」を求める意思力でしょう。
そういった個人の人間力のようなものは、何も政府だけでなくて、どの大きな組織にも欠けがちだとしてありとあらゆるところで問題になっています。

「大きさ」と「きれいさ」をどうやって両立させるのか。
ある意味人類の永遠のテーマと言ってもいいかもしれません。

個人的には、goo-goo (グッド・ガバメント)は可能だと思っています。そのためには、個人、家庭、教育、会社組織、など社会のすべての場面で、ちょっとずつ変化が起きていかないといけません。一人がみんなのために、みんなが一人のために。使い古された陳腐なセリフのように聞こえますが、でもそこに希望を託さないと、閉塞した状況は打破できないのではないでしょうか。

英語では何かがファッショナブルであることを「IN」と言いますが、今アメリカではgood government、すなわち「グーグー」だって「IN」である、ということが言われ始めています。「政府」のあるべき姿について、示唆するところの多い現象だと思います。

投稿者:七尾藍佳

2009年01月09日

農業・畜産業では人手不足。製造業から「農業」への「ワークシフト」の可能性

昨日のゼロの取材で、千葉の匝瑳市にあるサンファームという養鶏場にいってきました。
慢性的に人手が不足していて、高齢化が進んでいるといわれる農業・畜産・酪農業。卵の生産の現場も例外ではありません。
そこで、派遣切りなどで住むところにも困っている方々のニュースを見たファームは、業界団体がネットで行う共同の緊急募集に正社員四名の募集を掲示しました。
給与は18万円から。餌作りから卵を使ったお菓子やさんまで一貫した施設をもち、安全でおいしいものを消費者に届けたいという気持ちを共有してくれる人なら、経験は問わずにどなたでも歓迎だそうです。
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写真は衛生管理が厳しい養鶏場をサービスルームというところから覗かせていただく際に、雑菌などがはいらないように白衣(のようなもの、、、)を着ている私と佐伯カメラマン。
日本には世界に誇れる安全で美味しい「食」という産業があります。重工業系の製造業は新興国との競争で国内の製造拠点がますます厳しくなってゆくのは明らかです。
アメリカはそれを見越して製造業から金融への転換を国家戦略として図りました。それが失敗した今、アメリカ発の金融危機の影響が日本の製造業に波及している。重工業系製造業から、食の生産現場へと「ワークシフト」(労働力の移動)が行えるならば、それは日本の未来にも関わってくる大きな変化の芽生えではないでしょうか。
「食と農業」を日本の産業としてあらためて評価し直す機が熟しつつあるのかもしれません。
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もう一つの写真は、取材した養鶏場の卵を使ったお菓子を販売しているお店でゲットした「卵やさんのロールケーキ」。
お店の方が、「東京に有名なロールケーキ屋さんたくさんありますが、味では負けていません」とおっしゃっていました。家でいただいたら本当に美味しかったです。卵の味が柔らかくて、濃くて、フワフワでキメの細かいスポンジ。
養鶏場で採用されると、全ての工程、設備で経験をつみ、その後適性にあわせて配属されるということです。
今問題になっている「派遣切り」は、人材が道具のように扱われている「非人間性」に批判が集まっています。
人間的か非人間的か、ということでいえば、最初から最後まで環境と食と動物と人間にとっていいものを、というテーマが一貫したファームは、とても人間味あふれる働き場所のように思いました。

投稿者:七尾藍佳

2008年10月17日

金融危機、「以前」

最近、海外の英語ニュースを見ていると、特にイギリスで
「BC」という表現を耳にする機会が多くなりました。
BCって元々は<紀元前>Before Christということですよね。
これにかけて、Before Crisis、つまり<金融危機、以前>という意味で使われているんです。
このことに関して、ちょっと色々考えました。

最初に<貨幣>あるいは<お金>という概念が出てきたのは、狩猟生活から農耕生活に人類がうつって、ひとつの場所に定着し、作物を「蓄える」ことができるようになってきてからだと言われています。
いっちばん最初の「お金」っていうのは、人類学者によると、骨からひきちぎられた<肉片>だったそうで、<血税>なんて言いますけど、言い得て妙です。

カトリックのミサで聖体の秘跡を受ける儀式がありますが、このときの<聖体>はキリストの身体の一部。私は高校がカトリックだったものですから、週に一回は秘跡をうけてました。まぁるいサクサクした甘くない御菓子みたいなもので、これはコインの様な形をしています。これは無意識に<貨幣>というものが<聖体>というものとつながっているのではないかと主張する宗教学者や哲学者もいます。そもそも資本主義と貨幣経済が爆発的に成長できるようになったのも<三位一体>という概念ができて、ひとつのものが無限大に増幅できるということを教会が認めたからだ、という説は結構支配的です。そもそもマックス・ウェーバーがそういうことを論じています。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」において。

ラテン語で<マネー>を意味するPecuniaはもともと牛、を意味するPecusから来ているので、今回の金融危機で破綻寸前まで行ったメリル・リンチのマークが雄牛っていうのはこれはロジックが通っている話なのかもしれません。

更に言えばローマ神話の神様に「ユーノー」というのがあります。ギリシャ神話のヘラに相当する神様です。ユーノーは家庭の神様ということで、英語のJune、6月などの語源になっていますが、Junoと書きます。正しくは Juno Monetaといって、英語のMoneyの語源でもあります。このユーノーの神殿には牛が犠牲として捧げられました。

つまり、本来<お金>というものは私たちを守ってくれるはずの<呪術的なパワー>を与えられているものなんです。農耕民族になって、蓄える<富>というのは飢饉や敵対する部族からの攻撃に備えるものとなり、コミュニティを守ってくれる。干し肉などの保存食をたくわえることができるようになって、人間は明日の食べ物を心配する必要がなくなった。宇宙のこと、より抽象的なことについて考えをめぐらせることができるようになった。<貨幣>という抽象的なもので、<富>を交換できるようになって、<芸術>あるいは<文明>が産まれたとも言えるのです。

最初の<お金>でもある骨からちぎられた<肉片>というのは、狩猟という危険な仕事にかかわる男達に捧げられる畏敬の念もともない、狩猟以外の品物や労働と引き替えにすることができた。

<牛>という聖なる動物が捧げられるようになった<文明>においても、<お金>と<犠牲>と<神>は深いところでつながっていました。

お金は、危険なものから私たちを守ってくれるはずだった。だからみんな一生懸命<富>を蓄えようとする。

ボストン・グローグ紙のジェームス・キャロルという人のコラムに書いてあったんですが、

「だが現実には<マネー>は私たちを守ってくれるものではなくなってしまった」のです。

むしろ私たちを攻撃するものとなってしまった、ということなんですね。
ではどうすればいいのか?私たちを守るべき<貨幣>が私たちに刃を向けたとしたら?
<金融危機>だって元はと言えば人間が創り出したモノ。だとするなら、また新たに私たちの創造力をもってして新しい防衛手段を創り出すべきだし、それは可能だと信じたいと思います。

投稿者:七尾藍佳

2008年10月08日

世界的な金融危機

米国初の金融危機の取材を連日しております。
投資家に直接お話をうかがっている間に一番耳にする言葉は、
「ここはガマンするしかない」というとです。
アメリカでの金融機関救済策が下院を通過しても市場が好感しないこの状況をみて、
ここはもう嵐が通り過ぎるのを待つしなかい、ということでしょうか。
昨日、取引開始直後から日経平均株価が一万円割れする様子を取材しました。

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そのときの写真ですが、各社のカメラが並んでいる様子がわかるでしょうか。
一番奥のカメラマンはロイター通信のカメラマンで、
ここで取られた映像を家に帰ってからBBCやCNN,CNBCなどの海外のニュースで見ました。
NY,欧州、そして東京をはじめアジアでも、、、という形で。
さて、今日も株価の取材です。
そして、この金融危機がどれほど「実体経済」に影響があるかどうか、という取材。
この「実体経済」ですが、英語でもそのまんまReal Economyですが、最近よく聞くのは
「main street」という表現です。
メインストリート?
つまり、ウォールストリートに対して、「本来主流であるべき実体経済=メインストリート」
ということなんだと思います。
でも、悲しいかな、ウォールストリートがメインになってしまっていたのが
今回の金融危機の根本原因なのかもしれません。

投稿者:七尾藍佳

2008年05月08日

ご報告

ご報告です。

仕事用のブログをお借りしてプライベートな報告で恐縮ですが、
この度、結婚いたしました。

NEWS ZEROのフィールドキャスターは、従来通り旧姓の「七尾」で続けたいと思います。

今後とも「現場の生」をどうすればよりよくお伝えすることができるのか、
試行錯誤を続けながら取材を続けていきたいと考えています。

視聴者、HP読者の皆様、これからもどうぞよろしくお願い申しあげます。

投稿者:七尾藍佳

2008年03月27日

2月末に北朝鮮に行って来ました

2月末に北朝鮮に行って来ました。
訪朝は、ちょうどアメリカのニューヨーク・フィルの 「歴史的な」平壌公演と重なり、世界中からメディアが集結していました。 「歴史的」、というのも、北朝鮮とアメリカ合衆国は、現在は休戦しているものの、 事実上、「戦争が継続している状態」にあるからです。

平壌で最高級と言われるホテルは高麗ホテルと羊角島ホテルの二つ。
どちらも前回より客が多く、なかでも各国のテレビ局・通信社の記者の姿が目立ちました。ホテルですれ違ったBBCの記者が、世界中に向けて中継をしているのを同じホテルの部屋で見るという、ちょっとフシギな感じがする現象が平壌滞在中続きました。やはりそれだけ「世界が注目」していたのです。

BBCを見ることはできても、やっぱり、というべきでしょうか。観光地のガイドが口をそろえるようにして「不倶戴天の敵」とするアメリカのCNNを見ることはできません。

西側、という言い方は今ではもう古めかしい感じがするかもしれません。でも、北朝鮮ではまだまだ通用します。というより、「西側・東側」という冷戦時代の枠組みがいまだ厳然として残っている場所、といったほうがいいかもしれません。

というわけで、あえて「西側メディア」というコトバを使ってみましょう。「西側メディア」は新聞もテレビもほぼ一様にmusical diplomacyー<音楽外交> というコトバを使って今回のNYフィル公演を評していました。

かつて中国との関係を「ピンポン」を使って改善させたアメリカは、今度は「ピッコロ」(まぁ他にもたくさんありますが、、、)の力をもってして北朝鮮との緊張緩和を演出しようとしている、、、と。

スタジオで村尾さんが「そしてNYフィルだけが残った」とコメントしました。
まさに言い得て妙なのです。現在の米朝関係は改善されつつあるというよりは、ある種の「行き詰まり状態」にあります。NYフィル公演が実現した背景はこうです。

昨年の米朝関係改善の流れの中で、アメリカの国務省(日本でいえば外務省にあたる役所)がバックアップする形でNYフィルが公演を行い、アメリカ<文化>の力によって<対話>ムードを盛り上げていこう、という、言ってみれば政治的意図が背景にありました。

ところが、北朝鮮の核プログラム申告に関連してウラン濃縮やシリア核移転疑惑が問題が発生して米朝を中心とする交渉がずるずると長引いています。先週13日にスイス、ジュネーヴで行われた北朝鮮の核申告をめぐる米朝協議でも、大きな進展はありませんでした。

かつての和解ムードの盛り上がりの中で開催が決定し、その象徴としての役割を担っていたはずのNYフィル公演。ところが、いつのまにか和解ムードは薄くなり、蓋を開けてみると、まさに「NYフィルだけが残った」という形。だからこそ、私がお伝えしたように、平壌で感じたのは、<歓迎ムード一色>とはほど遠い現実でした。

平壌を流れる大同江という川があります。3月を目前にしても、最高気温が零度を超えない日もあるほど寒い平壌では、大同江は毎年凍るそうです。今年は、「例年に比べると氷は薄い」ということでしたが、それでも春の気配を感じる日本からの来訪者にとって、ぶあつい氷の上を風に吹かれて滑ってゆく雪を眺めているだけで体感温度が下がってゆくようでした。

いまのアメリカと北朝鮮の関係は、平壌の凍てつく空気と、例年よりは薄いといいつつも依然としてぶあつい氷におおわれた大同江に象徴されているように思います。

北朝鮮は、変わったのか、あるいは変わりつつあるのか?

NYフィルと時を同じくして平壌を訪れた外国人が共通して胸に抱いた問いかけではないでしょうか。BBCのレポーターは、今回の公演と同行する形で、おそらく初めて北朝鮮を訪れたのだろうと思いますが、「自由に行動できない」ということを強調していました。当然と言えば当然のことに改めて気づかされました。それは、この国が外に対して、依然として「閉ざされている」という紛れもない<事実>です。広場で偶然でくわしたCNNのキャスター、クリスティーヌ・アマンプールさんが「Opening window 窓を開く」という表現をしていました。

今回のNYフィルの公演が「窓を開く」象徴的な出来事であることに間違いはないでしょう。朝鮮戦争でアメリカ軍が撤退してから「最大」のアメリカ人の団体が北朝鮮本土に足を踏み入れたわけですから、<歴史的>です。

では、北朝鮮は本当に「変わり」つつあるのか、「開かれ」つつあるのか。

見る角度によって大きく意見に隔たりが出てくるところですが、平壌で肌で感じたことから考えてみたいと思います。

まず、平壌の空港に着くなり、税関審査で携帯電話がすべて一時的に取り上げられます。これが「北朝鮮の入り口」で外国人がまず味わう体験です。北朝鮮に行く、となると、いろいろと勉強もします。何度も行ったことがある人に話を聞き、予備知識を集め、「共和国(北朝鮮の人は自国をこう呼びます)のルール」を頭にたたき込みます。そうすると、実際に北朝鮮に行って(たとえば携帯電話取り上げのように)驚くべき経験をしたときに、「そういうものだ、、、」と自分に言い聞かせるようになってしまいます。間違いを犯してトラブルになるのは誰だって避けたいものですし。

ホテルや観光地でにこやかに迎えてくれる従業員など、親切にしてくれる北朝鮮の人に接する度に「あ、この国にも当然ながらいい人はいるのね、そうよね、同じ人間だもの。大丈夫よ、、、」と言い聞かせながら行動するようになります。そうしないと、そもそも対話ができない、ということもありますし、また、こちらが知りたい日本への意見などを聞き出すことだってできません。

今回は、二回目ということもあり、前よりもリラックスしてのぞもう、と思っていました。ところが、、、行く先々で、「現在の朝日関係はサイアクの状態です、、、それもすべて日本のせいです」という言葉にふれる。近づきつつある米朝を、日本が邪魔をしているのだ、と言われているようにも思えました。日本だけが態度を変えない、六か国協議の足並みを乱している、ということなのでしょうか。

そんな中でも、なるべく北朝鮮に触れよう、この国の人が本当に考えていることに迫りたい、という姿勢を保とうと努力していました。そんなときに、世界中からやってきたジャーナリストが、世界中に「ホテルから自由に出られない。取材中も常に監視の目がある、自由はまったく許されておらず、この国が閉ざされている現実に変わりはない」と繰り返し伝えるのを聞いているうちに、ふと、「我に返った」気がする瞬間がありました。その時、北朝鮮で、平壌で、自分がどれだけの緊張感の中に置かれていたかを改めて実感したんです。

「郷に入れば郷に従え」と言いますが、北朝鮮でもそう努めていたんです。異国にいるわけですから、その土地ではその土地なりにあるルールを尊重しなくてはいけない。これは当然のこと。でも、この北朝鮮という場所を訪れるということは、「郷にいれば郷に従え」という諺で表現しうる様な「異文化体験」をはるかに超えた経験なのです。それは、どこにでも自由に行くことができ、ネットでもメディアでも(多少のルールとエチケットがあるとはいえ)個人が自由にものを言うことができる、自由な「民主主義社会」、いわゆる「西側」で育った人間が、携帯電話を奪われ、同行スタッフと交わす会話にも神経を遣い、日本から届いたファクスもプライバシーが守られるどころか、ホテルでコピーが取られて、DPRKの大きな印が押されたものを渡される、ホテルの外には一人で出ることは一切許されず、一般市民に話しかけることは固く禁じられている、そのような環境に置かれたときの、ある意味で当然の反応と言えるでしょう。

つまり、あまりにも自分が見知っている「世界」とは異質な「別世界」に身を置いた時、「これはこういうものだ、、、きっとそうなんだ、、、」と言い聞かせることで、自分を守ろうとするのではないでしょうか。一種の自己防衛本能。

北朝鮮で、何を見ることができるのか、、、ということですが、一言で言えば、何も見ることはできません。外国人の行動はすべて関連施設にあらかじめ予約を入れることで成立し、すべては管理されているのです。そのような状況で、「市民の現実」を知ることは不可能に近いもの。それでもかいま見えてくるものも、もちろんあります。ただ、今回私が強く感じたのは、「見えないようにさせる」システムの頑丈さ、堅牢さ、です。これを受けて、「果たして北朝鮮は変わったのか」という問いに対する答えは、自ずから明らかになるように思います。

今回訪ねた、エリート教育機関である平壌外国語大学の、英語学部の教授と話す機会に恵まれました。彼は、とても明朗で美しい発音の英語を話す紳士でした。CNNもBBCも、アメリカの映画もTVドラマも学生と共に見ている、ということです。「海外の情報を勉強することは大事ですし、私たちの大学、そして学生は非常に開かれており、日々活発な議論が交わされています」と言われたので、こう、聞いてみました。

「今回のNYフィルの公演を受け入れたということは、北朝鮮が外に対して扉を開こうとしているあらわれ、と捉えていいのでしょうか?」

彼の答えは;
"We have been always open.  We have never closed any window."
「私たちは今までもつねにオープンでした。私たちが扉を閉ざしたことなどありません」

思わず息を呑みました。彼の自信たっぷりの語り口から、目の前の人物が心からそう信じて言っているということがよくわかったからです。そして、聞いてみました。

「拉致問題への北朝鮮の対応に、日本国民は非常に怒りを覚えています」

そして彼の答え;
"And do you believe in that?" 「そんなことをあなたは信じるんですか?」

「常識ある人間がすることとは思えない」というニュアンスで言われました。あまり時間がなかったので、拉致問題の具体的にどの部分を指して彼がそう言ったのかをつきつめることはできませんでしたが、おそらく、現在の日本側の主張すべて、だと思います。多くの明らかに不合理な点が含まれる拉致被害者の方々の報告書や、遺骨の問題など。

そう言われたとき、私はつい絶句してしまいました。でも振り返ると私は次のように言いたかったし、言うべきだったと思っています。

What do you expect Japanese peole to believe in? 
一体日本の人に何を信じろ、と言うのですか?

私が北朝鮮で感じて、見て、聞いたことの一部です。果たして、北朝鮮は「変わった」のでしょうか、そして「開かれた」のでしょうか。


投稿者:七尾藍佳

2008年03月03日

暗礁に乗り上げたかギョーザ問題

先週、中国の捜査当局(公安省)が
「殺虫剤の投入が中国国内で発生した可能性は極めて小さい」と
公式の見解を、異例の生中継会見で発表しました。

日本側はすでに「日本国内での混入の可能性は極めて低い」
と公に発表していますから、日本の消費者が心から求めている
「原因究明」は暗礁に乗り上げてしまった形です。
その中で、中国商品を取り扱っている日本の輸入業者への
ダメージは非常に大きいようです。天洋食品との取引を
やめる会社が相次いでいる中、タイ、カンボジアなどの国を
新しい生産拠点として模索する動きも目立ってきているようです。
中国産冷凍ギョーザへの殺虫剤混入事件
が明るみ出てすぐに、取材に応じていただいた大阪のワントレーディングという食品輸入会社では、天洋食品から仕入れていた商品を調べたところジクロルボスもメタミドホスも検出されなかったということです。
ただ、今回の事件を受けて、やはりこの会社も中国以外の生産拠点
を探すべくタイなどの国を調査中で、外国だけでなく国内の生産も念頭に入れているということです。

<食>の海外への依存度が高い日本。一般庶民にとっては、賃金も
上がらないままに、遠くで起きていた感のある日本の「好景気」にも
アメリカのサブプライムローンの影響で暗雲たれこめる状況の中、
やはり少しでも<安さ>を求めてしまいます。
そんな中、「国内産」がより一層注目を集めていますね。
有機栽培だけでなく、肥料を一切使わない「自然栽培」など。
今回の<ギョーザ>事件が日本に住む人々に「食」を改めて考える
ひとつの契機になっている部分はたしかにあります。
ですが、被害者が実際に出ていることですから、やはり日中両国の
捜査当局にはきちんと情報を共有して原因究明を進め、消費者に
納得の行く形で報告してもらう、ということが何より大事です。

投稿者:七尾藍佳

2008年02月19日

「新ワッカケトンネル」の取材

金曜日にZEROで放送された北海道余市近くの「新ワッカケトンネル」の取材中の様子です。
080208_01.JPG

日本海側なんで海風に雪が飛ばされて寒い寒い。
気温が低いので雪がどんどん髪の毛や睫毛につもっていきます。
崩落して多くのかたが犠牲になった豊浜トンネルの近くにあって、
老朽化しているワッカケトンネル。
これだけ厳しい環境のところにあって、冬場は特にスリップしやすいのに、
出 口のところで急カーブしていて非常に危なく、事故も多いそうです。

もっと安全なトンネルを、という地域住民の悲願である新しいトンネルの掘削工事ですが、6割方掘り進めたところで出口の用地が取得されていないために工事中断。
ようするに「ただの穴状態」のまま、もう二年ばかり完成が遅れている。
その上、工機の撤収、再設置などで余計な費用がかかっているのです。
きちんと用地取得の見込みが立たないままに工事を見切り発車してしまったためです。

080208_02.JPG
二枚目の写真はちょっとわかりづらいですが、左側が現在使われているワッカケトンネル。
右側が工事がとまっている新しい「トンネル未満、穴以上」の「新ワッカケトンネル」。
狭くて出口付近で大型車がすれ違うにはいったん停止しないといけない。
「崖に近く、崩落したら怖いです」と、このトンネルの完成を心待ちにしている隣町の古平で、幼稚園のバスでお嬢さんが帰ってくるのを待っているお母様がおっしゃってました。
ちょっとでもおそいと、豊浜トンネルのことが頭をよぎり、きがきではなくなるそうです。
道路計画には「ムダ」を指摘されることが多いですが、
この新ワッカケトンネル(仮称)のように、とても必要とされている道路工事でも、
信じがたい実態があるんですね。
行政側の言い分としては、
「緊急性のあるトンネルなので、住民の方の要望も強いですし、
掘削と用地取得を平行して同時進行させた方が時間の短縮にもなる」
ということです。

でも掘ってみたけど出口の土地が買えてなくて何年もそのまんまって・・・。
今回のトンネル工事。
あの豊浜トンネルの事故がひとつの背景となって、工事を急いだという事情はあります。
とはいえ、満足に用地取得の交渉もせずに見切り発車というのは、
多額の税金を使うトンネル工事としては、いかにもずさんだし、
結果的に 時間の節約どころかよけいな時間がかかってしまっては、
本末転倒ではないでしょうか。

投稿者:七尾藍佳

2008年01月17日

お久しぶりです

ご無沙汰していました。
気が付いたらだいぶ長い間更新が滞っていて、
申し訳ございません。
年が明けて早々、社会的影響の大きい事件がつづき、
出張に次ぐ出張の日々です。

一番大事なのは体調管理。
最近はマスクを着用されている方を多くみかけますね。
特に飛行機や新幹線など、機内・車内では空気が
乾燥しています。喉・鼻の粘膜がかわいてしまうと、
菌が入りやすくなりますので、乗り物の中では
乾燥対策のためにマスクを使うのも手ですね。
私は長時間、飛行機に乗るときはマスクをしますが、
中のガーゼを湿らせると、さらに効果的ですので、よかったら
お試し下さい。

今日は自民党大会の取材に行ってきました。
「立党以来最大の危機」ということで、やはりパフォーマンスなどを
やる雰囲気ではない、ということなのか、淡々と議事が
進行されてゆく辺り、昨年の安倍前総理のときの華やかな
党大会とだいぶ雰囲気はちがいました。

投稿者:七尾藍佳

2007年07月23日

能登半島地震と、柏崎


ひさしぶりに東京にいます。能登のときもそうでしたが、災害の取材をするたびに、被災者の方からむしろ励まされてかえってきます。報道陣というのはむしろただでさえ大変な被災地にさらにご迷惑をおかけするような存在であるにも関わらず、「あんたらも大変だぁ、がんばってなぁ」と避難所で、通りで、家を片づけている方々から、いたるところで言われます。先日、能登半島輪島で取材をした、門前町の印刷工場を経営されている方からお手紙をいただきました。取材に協力していただいたので、そのお礼のお手紙をお送りしていたんですが、それへの返事でした。取材したときは、「活版」を使う古いスタイルで印刷していたので、その「活版」が全部粉々になってしまったから、もう商売をたたんで年金生活かしら、と悲しそうに笑っていらっしゃったんです。でもお返事には、組合で「活版ありませんか」とダメモトでお知らせを出してもらったら、静岡にある業者から無償で譲っていただけることになったということでした。お手紙には、輪島塗りの夫婦箸と、門前町名物のそば粉まんじゅうが入っていたので、そのお礼にお電話をかけました。すると、
「ちょうどさっき、静岡から帰ってきたところなんですよ!これでまた主人と二人で仕事ができます」。
ととても喜んでいらっしゃいました。ちょうど私と同年代のお嬢様が大阪で独り暮らしをされているそうです。取材で私がうかがったときに、「ああ娘はどうしているだろう、心配しているだろう」と私の姿をみて思われたそうで、それで色々とお話してくださったとのことでした。
門前町でつぶれてしまったお寺の住職さんが、講話をされたそうです。
そこでご住職がおっしゃったのが、
「震災も縁と思って助け合って頑張りましょう」と。
印刷工場を経営されているかたは、今回の震災で、能登の人の強さと暖かさを再認識されたそうです。また元気に頑張りますから、七尾さんも温泉旅行にきてください、と言われました。夏休みに行こうと思っています。
柏崎の取材で気になったのが、ニュースでは「救援物資が届いた」といった、行政の対策が新しく出るたびに「ニュース」として報道しますよね。でも実際に避難所などで取材をしていると、「テレビではやってるけど、全然きてないよ」ってことになります。だから、テレビや新聞で見るよりも、やっぱり現実はずっと厳しい。そこをきちんと伝えていきたい、というのが、報道に携わる私たちの気持ちなんですが、なかなか難しいですね、、、。車内で避難されている方がとても多く、エコノミー症候群のかたが増えているというニュースも入ってきました。いまの新潟、とっても蒸し暑いんです。蒸し暑い車内で、お風呂にも満足に入れず、避難生活がつづいている方に、一刻も早く在る程度のスペースがあるところで寝泊まりができるよう、仮設住宅の建設が早く進むとよいですね。
今日は山本拓農水副大臣の「失言」(?はたしてあれ、「松岡大臣の光熱水費は赤坂の芸者の「花代」」発言は「失言」なんだろうか???それとも何なんだろうか?!)取材で動くかもしれないんですが、ひとまず待機中です。
ちなみに『公立炎上』という本を読みました。現役高校教師の立場から、著者が「ほんとうにこんなにヤバイんだぞ」と訴えているです。
たとえばいじめ取材などの現場で、中学校、高校に接する機会が、私は結構あります。そんなときに、えもいれぬ理不尽さを感じることがあります。その原因がこの本を読んでよくわかった気がします。公立は、崩壊、というか、最早炎上している。
「ゆとり教育」は、「法律」という「入れ物」だけをつくって中味をきちんとフォローしないと、事態をさらに悪化させてしまうこと顕著なケースであることが、この本を読むと見えてきます。お子さまがいらっしゃるかたもいらっしゃらないかたも、是非読んでみてください。
ちなみに、今の学校教育の問題点を追ったドキュメンタリーを、日テレ報道フロアから生放送で久米宏さんがナビゲートする番組、「テージセー」は、NEWS ZEROの前、今日22時からです。報道フロアに久米さんがいらっしゃるそうです、なんかセットがくまれてます

投稿者:七尾藍佳

2007年05月31日

キャプテン翼 ゴールデン23

ラルフさん、最近ゴールデン23(まだつづいてるんです)を読み始めたら、
いつのまにか翼君がBARCA!にいるんですよ!カンプノウでたたかってるわけです。
それより驚いたのは、若島津くん(若林君に次ぐ名キーパー)がいきなりフィールドプレーヤーになってるんですよ!

つい書いてみたくなりました、、、。

投稿者:七尾藍佳

2007年05月23日

たまにはゆるいものを。

うちの妹はマンガを描くのがうまいんですが、ちょっと早めの誕生日カードに
「テレビで見る」私の印象を描いてくれました、、、ゼロスタッフに見せると、みなさん控えめに
「ちょっと似てる、、、気がする、、、」と言います。どうでしょうか?

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投稿者:七尾藍佳

2007年05月22日

会津若松の少年 取材記

大きな事件がたてつづけに起きました。先週は、火曜日朝に会津若松に発って、17歳の少年が母親の首を持って警察署に自首した会津若松市と、そこから車で2時間弱離れた山間にある少年の実家近辺での取材を三日間つづけました。三日目、福島大学の家族臨床・非行・犯罪臨床がご専門の生島浩教授にインタビューをしている最中、愛知県長久手で拳銃を持った男が立てこもり、男性一人、女性一人が撃たれて病院に搬入、警察官一人が玄関前で腹を打たれて今も救出されていない、至急愛知に向かえ、という指令が日テレ本社より来ました。木曜日の7時半に取材を開始、午後11時に長久手到着、翌日金曜日の明け方に突入か、と言われてたんですが、結局午後になって元妻が自力脱出、そして午後8時過ぎに本人が自主投降。夜11時から始まった警察署での会見を聞いて、11時50分ごろに会見場を飛び出し、0時2分から最新情報を生中継、そして会見の終わりに出てきた情報を番組のエンディング直前でまた37秒ほど中継で入れるというなんだかものすごくめまぐるしい状況でした。ほぼ43時間くらいぶっつづけで、現場を離れたのがあけて土曜日の午前2時、、、。

もうろうとする中でたてこもり犯とのにらみあい、中継、帰京、というなかで、会津若松事件について落ち着いて考え、振り返ってみることがすとんと抜け落ちてしまっていたように思うので、ここで改めて振り返ってみたいと思います。ちなみに長いんです、すみません。

    ***   ***  ***   ***

いわゆる「ジドリ」と言われている、事件発生現場周辺の「聞き込み」をしていると、真偽のほどはともかく大小様々な情報が入ってくる。前代未聞の陰惨な事件で、わたしたちは何とかして「理屈」で説明をつけたいと感じる。不安におののき、日本社会がどうにかなってしまったのではないか、と戦々恐々とし、「動機」「原因」探しのために「背景」取材が加熱する。自然として、少年の人となり、家庭環境に取材の目が行く。

 中学三年まで少年が過ごした地元での反応は「ショック」の一言。少年の同級生の中には寝込んでしまった子もいるくらい。その理由は少年が「頑張り屋さん、努力家のいい子」だったから。「なぜ?」少年が犯行に及んだか、まったく理解ができない。どうしていいかわからない。そういった声が届くと、自然と「何が少年を変えたのか」に焦点が行く。かつては友達もいて、スポーツと学業を両立させる感じのいい少年だった。なのに会津若松市内の進学校に進んでから、高校二年時から人を避ける様子が目立ち、4月に三年生になってからは学校に最初の4日間しか来ていない。透明な、空気のような存在。だが部屋には殺人関係の本やDVDがあった、、、。

 母親は、離れて学業にいそしませている上の息子二人を世話するために、夜遅くまで仕事をしたあと、足繁く会津若松まで車で二時間かけて通っていた。三人兄弟の末っ子は地元で共に暮らしていたが、お母さんっ子で、母親は上の二人に時間を割かれて、末の息子に寂しい想いをさせているのが心配だと周囲に語っていたという。兄弟が住んでいたアパートに、町内会費をもらいうために訪ねたとき、母親に会ったことがある近所の住民に話を聞くと、玄関先に正座して出迎えるとても礼儀ただしい母親で、車がとめてあるのをみるたびに「今日もお世話しにきていらっしゃってお偉いわ」と思ったという。兄弟の学費を捻出するために、母親は一生懸命働いて居たという話も聞く。

 隣のお宅のお庭から、兄弟が住んでいた部屋の外をのぞかせていただくと、バスタオルが三枚、ベランダに干されたままになっている。きれいに雑草が取り除かれた芝生のお宅で、「草むしりきれいにされているのに私たちがずかずか踏みつけちゃって申し訳ないです」と申しあげると、「わかってくれればいいんですよ」とおっしゃった。付近は品のいい方が多い、閑静な住宅街。住民はどうしていいかわからない心境だろう。高校生の少年たちには、ぬれたバスタオルをわざわざ外に干すなんて感覚はないように思う。私だって風呂上がりは適当に脱衣所の手すりにかけるだけ。たしかに晴れているときは外に干しておいたほうが次に使うときにきもちがいいもの。わざわざ外に干したのは、気持ちよくバスタオルを使って欲しいという母の気遣いだったのではないだろうか。

 昼過ぎ、会津若松市内の食堂におかれていたテレビで各局の「昼ニュース」をチェック。各局、各紙それぞれ取材が進んでいるのだろう、新しい情報がいくつか入ってくる。スポーツ新聞にも目を通す。二日目になって、家庭環境に関する話がでてきた。「両親の関係がどしゃくずれで家がつぶれたことをきっかけにうまくいっていなかった」というもの。私もいくつかそのたぐいの情報を直接聞いた。でも「ウラ」(それを証明できるような別の情報、確認ですね)がきちんと取れない、噂の領域を出ないと判断したものは、このブログに書けないものもある。そこからわたしたちの「詮索」が始まる。何らかの形で「恐怖」と折り合いをつけたいという欲求がそうさせるのかもしれない。

 ワイドショーを見ているとコメンテーターが色々な意見を述べている。「殺すのは誰でもよかったと言っているが、あえて母親である意味があったのではないか」「地元では一番でも、都会にでるとどんなに頑張っても中の上で、プレッシャーにつぶれたのではないか」「母親が勉強するようにプレッシャーをかけすぎたのではないか」「両親の不仲が影響したのではないか」「土砂崩れが影響したのではないか」などなど。現場で取材しているわたしたちの会話でもそんな「憶測」が飛びかう。日本中の職場で、家庭で、学校で、同様の会話が交わされていることだろう。みんななんとかして「理解」したい、この事件を「理解可能」な領域まで持っていきたくて必死なのだ。そのなかで、一人の若いコメンテーターが、「でも何があっても彼がしたことはとうてい理解できませんよ!」と強く言いきっていたことが頭のなかにずっと残っていた。取材を進めていると、一人前の探偵にでもなったように「ああでもないこうでもない」と発想がどんどんふくらんでしまう。もちろん、想像力を働かせることが、次の取材ポイント、新しい情報につながるきっかけを作るかもしれないのだから、それは大事なことだ。でも、どこかで何か肝心なことを忘れているような気がしていた。

 その内、取材が行き詰まってきた。すでに報道陣が殺到して、話を聞かれてしまっている現場のことを業界用語で「荒らされた」という。「荒らされちゃってダメだね」なんていう言葉を聞いたり、自分でもいうたびに、「荒らしている」のは自分たちなのに変な言い分だとちょっと自己嫌悪になる。ある住民の方に、「○○の話は聞いた?聞いてない?あっそう、じゃあ私も言わないわ。それが会津の掟だから」と言われてはっとした。ここでは明らかに「コミュニティー」というものがまだ生きている。「しゃべりたくない。理解できない。ショックだ」、それはごく自然の、事件の近くにいる人たちの反応。

午後になって、猪苗代警察署から少年が福島地検会津若松支部に移送されるところをレポートした。護送車を青いビニールシートが被っているところを、正面から少年の姿を狙おうとして、たくさんの報道陣が一か所に集中していた。私たちは、七尾の「顔出しレポート」(記者が現場を取材していることが伝わるように、記者を被写体として入れ込みながら周囲を撮ること)を撮らなくてはいけないので、他の報道陣の邪魔にならないように少し離れたところに陣取った。これが功を奏した。ちょうど逆光になって、警察官に頭を押さえられて屈みながら車に乗り込む「影」がくっきりと見えたのだ。ほっそりとした体つきのその「影」はあきらかにまだ思春期の「少年」のものだった。それから、少年が「のこぎり」を買ったのではないかと思われるホームセンターに向かった。だが「ウラ」(確認)は取れていない。でも「一応見ておこう」と思ってノコギリ売り場に一人で向かった。大小様々なノコギリが並べられている売り場から少し離れたところにスプレー塗料が並んでいて、ほんの数メートルのところから「少年」の「影」を見たばかりだったので、想像力がたくましくなってしまいいたたまれない気持ちになった。

 三日目。雨の中少年の実家付近での取材。市内からの道中、ワゴンの中からダムに沈められてしまった枯木が見える。枝振りのところだけにゅっと水面に出ているのが、まるで人の手が湖水から出ているようで、「もしかしたら少年はこれを見て植木に母親の手をおいたのではないか、、、」なんてことが頭をよぎり、自分が少し疲れてきたのかな、いけないいけない、と背筋を伸ばしてみた。どの家も戸を締めきって、報道陣を避けるように人っ子一人出歩いていないその土地はまるでゴーストタウンのようだった。土砂崩れのあとに両親が別居したかどうかを、同じ土砂崩れで家を失い仮設住宅に住んでいる方々に聞きに行った。すると「そんなことは無いと思う。不仲だって話はそんな聞いて無いなぁ」という反応。人によって言うこともバラバラだ。はたしてこの調査は本当に必要なのかどうか段々疑問に思えてきたころ、本社からも「ちょっと軌道修正したほうがいいのではないか」という意見が出た。やはり実家付近よりも会津若松に戻って同級生周りを取材したほうがいいだろうという結論。するとまた本社から連絡があって、福島大学の少年犯罪を専門に研究されている生島先生のところに取材に行ってくれ、という指示がきた。ニュースリアルタイムなどにもよく出演されている生島浩教授だ。

 生島教授にお話を伺うポイントは「精神鑑定」。「送検」され、「精神鑑定」に入る、というのがこのような事件の通常の流れ。NEWS ZEROの視点も、次のステップに移っていた。NEWS ZEROは、当然のようにニュースで語られる事柄を、ふと立ち止まってみると「本当にそれってみんな理解してるわけ?」と考え直してみる、わからないことを分かったフリをしない、というのがモットーなので、「そもそも精神鑑定ってなんのために必要でどんなことをするわけ?」というのは当然の流れ。私も知りたいと思った。現場でふくらみきって行き場を失った「憶測」を先生にぶつけて、「理解可能」な説明を聞きたいと思った。

 まず、そもそも論から言うと、成人の場合は「責任能力」の有無が有罪・無罪に直結するので、「精神鑑定」は非常に重要になる。だが少年の場合は、そもそも成人のようには「責任能力」を問われないのだから、「精神鑑定」で「責任能力」の有る、無し、をうんぬんするのは、実務的にははっきり言って必要がない(法学の面では少年に責任能力の有無は二説ある)。では何故「精神鑑定」を行うかというと、今回のように常人の「理解を超える」「常軌を逸した」事件が起こると、社会、つまり私たちが「精神鑑定」で何らかの原因が「解明」できるのではないかと期待してしまうからなのだという。でも、これまでの精神鑑定で事件の真相や動機が明らかになったことなどまずないというのだ。

 精神鑑定に要する時間は一か月ほど。その間、「治療」は施されない。なぜなら、その少年が「おかしい」とするならば、「おかしい」レベルを調べるのが「精神鑑定」なのだから、「おかしい」状態をむしろ維持する必要が出てくる。この間、症状はどんどん悪化してしまう、と生島先生は言う。このため、「責任能力あり」と診断されたとしても実務的処置に何ら変化はないのだから、なるべく早いうちに治療に入ったほうがよい、という意見も多いようだ。でも、それでは社会も、そして被害者も納得しない、ということなのかもしれない。

 この少年に関して言えることは、先生の意見ではかなりの確率で統合失調症であろうということだ。統合失調症はまず、世界中どの地域でも人口の数パーセント発生するものであること。17歳前後はもっとも発症率が高いということ。「自閉症」という呼び方もあったように、自分の殻に閉じこもって、自分の妄想の世界に生きてしまうので外の世界をシャットアウトしてしまう、他人は関係なくなってしまう。その妄想が肥大化して飽和地点に達したとき、妄想であったことが現実の行動につながってしまうことがある。たとえば自分は「ロマノフ王朝の最後の末裔だ」という人間が後を絶たないが、あれも「自分は王族だ」という妄想で頭が支配されている、という統合失調症。この場合は、特に周囲に物理的な被害が及ぶことはないが、今回のような少年のケースは、その妄想が不幸にして「殺人」に関するものであった、、、ということなのである。

 つまり、少年の中で完全に「殺人」によって埋め尽くされた世界が構築されていた可能性が高い。もしその妄想がもっと無害なものであればこの事件は起きなかったかも知れない、というのだ。生島教授の説を聞いていると、たしかに今回の事件とつじつまがあう。16歳ぐらいから周囲をシャットアウトするようになり、人格が完全に変わってしまったようになった、というのも典型的な統合失調症の症状だという。そして、「人を殺す」という欲求が何かのきっかけで現実のものとなったとき、一番近くにいたのがたまたま「母親」だった、つまり「殺すのは誰でもよかった」ということになる。

 しかも、少年は心療内科の診察を受けていた。もっと早期に、しかるべき治療をするように医師が判断できなかったのだろうか。あるいは、少年が在籍していた高校の会見を聞いていても思ったのだが、ずいぶんと高校側は、17歳の少年が弟と二人で暮らしているのに距離があるな、、、と感じた。下宿をしている在校生は年に二度だけ。そのことを生島教授に伝えると、先進国の中で診療科目の中に思春期・青年期を専門とした精神科が存在しないのは日本だけだという。大学でも専門に勉強できるところはない。だから、精神科医、あるいは心理学の専門家で児童・青年を専門に学びたいとすれば国外に出るしかない、という。当然ながら、医療少年院や、送検後の精神鑑定も、成人を専門とする精神科医などが担当する。

 偶然だが、会津若松事件が発生(これも業界用語、事件が「起きる」ことを「発生」という)する前の晩に、桐野夏生の『アイム・ソーリー・ママ』を読んでいた。これも母殺しにまつわる小説だったので、ついつい「なぜ」を追求し過ぎてしまったように思う。つまり「理解可能」な「物語性」を求めすぎてしまった。それは、たぶんこの母親の首を切断して、インターネットカフェで時間を過ごしたあと、タクシーを呼び出してすぐそばの警察署に持っていったという事件のむごさ、さらには取り調べのなかで、「母親を殺したことをどう思うのか」と問われて「別に」と答える少年の神経の空恐ろしさが、そうさせていたのかもしれない。取材中、「なんだか大事なことを忘れているように」思っていたことの理由が、生島教授のお話をうかがってわかった。

この段階では、事件を起こした会津若松の少年がはたして統合失調症と診断されるのかも、また事件の詳細について何らかの決断を下すのは時期尚早だ。ただ、わたしたちのように普通に市民生活を送っている人間の「ロジック」ではとうてい理解できないもの、つまり最早「病」としか呼びようのない心理状態の人間は確実にいて、その人間が犯した罪に、通常の人間にあてはめるような憶測は通用しない、ということなのだ。私は、立てこもり事件が発生してから、少年の父、つまり殺害された母親の夫が警察を通じて発表した声明文を読んで、このことを強く感じた。激しく動揺していて、どうしていいかわからない。住民にも迷惑をかけている、これ以上取材をしないで欲しい、、、という内容。胸が痛くなった。報道陣、あるいは「世間」は、何か家庭環境に原因があったのではないか、と犯行のつじつまを合わせられるような情報をひとかけらでも探そうとする。私たちに「理解できない」となれば、家族にはもっと「理解できない」だろうと思う。たとえ少なからず家庭内に問題があったとしても、父親にとって少年は「息子」であり、殺されたのは「妻」であり、二人の弟にとっては「母」だった、という事実は変わらない。わたしたちは、身内に突然ふりかかる「不幸」を「理解できない」と感じる。その最たる例が「交通事故」かもしれない。そこには、親しい人が死ぬべき何の必然性も無いから。今回、会津若松の少年が起こした「事件」を「交通事故」の様なものだと言えば批判を受けるかもしれない。でもそれほど「理解」を超えたことが時として人の人生にはふりかかってしまうのだ、という意識を持たないと、私たちは罪のない人を救いようがないほど傷つけてしまう可能性があると思う。

* *************************

 以前、少年刑務所のことについて書きました。そこで接した少年たちと、今回の事件はまったく別の次元にあると思います。ただ、「少年」が関わる事件の取材をしているうちに感じることですが、いずれにせよ日本は医学・教育・心理学・法学、さまざまな分野で思春期・青年期を専門とする研究・社会制度、法体制がたちおくれているのではないでしょうか。一クラスの生徒人数も先進諸国に比べて格段に多いですし、カウンセラーが常駐していないのも依然として当然と思われているところがある。「保健室の先生」が全校生徒に目を配ることはできません。「少年」を専門とする心療内科が存在しないのも、言ってみれば旧態依然とした「白い巨塔」が頑として変化を拒んでいるということがあるようです。

少年犯罪の件数がここ数年で格段に増えたということはありません。ただ残虐性が増している、ということは指摘されています。でも、神戸の「酒鬼薔薇」事件の28年も前、1969年に川崎の男子高校で、生徒が同級生をめった刺しにし、首を切断する、という事件が起きています。「酒鬼薔薇」の時に、それより前に起きた、似た事件を追ったほうが、「酒鬼薔薇」に迫れるのではないか、という思いから奥野修司さんが書いた『心にナイフをしのばせて』(文藝春秋)という本があります。事件後数年の記憶を失ってしまうほどのショックを受けた遺族の母親と、「更正」して弁護士になったかつての「少年A」の対比、、、それは「更正」とは何か、「少年法」とは何か、ということを改めて考えさせます。しかも今回の事件は被害者と加害者は重なり合っている、、、。悲劇、という言葉さえ陳腐に思えてくるこのような事件が起こることは統計学上避けられないとするならば、その「病」の徴候を事前にすこしでもキャッチできるような体制を、「教育」や「医療」などの社会システムの中に作っていくべきだと思います。

投稿者:七尾藍佳

2007年05月11日

刑務所の少年たち

NEWS ZEROで初めてスタジオに出演した昨日、なんだか村尾さんの顔を見ていたら「やばいテレビと同じだ」などと当たり前のことにびっくりして、やたら緊張しだして焦りました、、、
さて出演したのは川越少年刑務所の取材で感じたことなどをお伝えするためでした。二日間連続で放送された少年刑務所での「更正」について。

たかが人が死んだくらいで、人を殴ったり殺したりしたらハクがつくと思った、というのが、罪を犯した少年の、本当の本音です。彼らは最初は反省しているフリをします。でも段々と、本年を話すようになる。教育官の話では、それは彼らの「進歩」だそうです。取り繕えばピンチを適当に切り抜けられると思っている若者が、自分自身の「悪」を認めるのは、一つの自己認識ができるようになったということなんです。でもそれはメディアで伝えるのは、大きな誤解を招いてしまう危険性があります。
「なんだ、反省してないじゃないか」と思われる。だからこそ、多くの刑務所はそのような「受刑者の本音」がカメラに記録されるのをどちらかというと敬遠されるそうです。それは、「自己認識」というひとつの「成長」であることを伝えるのは、かなり繊細なものだからです。ですから、今回ZEROで放送できたのは、非常に貴重な受刑者のリアルな姿だと思います。ただ理解していただきたいのは、彼らが
「いいこちゃん」の仮面を取ったというのは、「罪を犯した」という「現実」と向き合う、つまり「罪を償う」ことのほんとうにはじめの、でもとっても大事な一歩なんです。

当初は、殺人などの重大な罪を犯した少年が入所しているということでかなり気構えていました。
ところが、実際に顔をみて話してみると、「普通の若者」だということがわかる。
生い立ちについて聞いてみると、父親に虐待され、入れられた施設でも暴力を受け、
自分がやらなければやられる、という状況で育ち、いつの間にか暴力が当たり前になってしまったという
少年がいた。もちろんだからといって彼、彼らが犯した罪が消えるわけではないし、だからといって同情すべきだとか、甘くすべけいだといっているわけでは決してないんです。ただそれが現実だということ。つまり、そんな環境で育った人間は、いったいどんな善悪の価値観を、判断能力をもっているのか、そもそも持っていないのではないか?だとしたらどうすべきか?ということなんですね。

グループワークで、罪の意識は、受刑者によって大きな差があることがわかりました。
何年たっても、被害者に対して何とも思っていない、関係ないような気がして、実感がわかない、と語る傷害致死の受刑者がいました。
被害者の親の立場に立ってみたら?自分にも子供がいるでしょう?同じ傷害致死の受刑者に聞かれても、
「自分が親という実感も薄かった、その現実から逃げたいと思って暴走族に入り、事件が起きた」というんです。

私は事件取材などで、「被害者」の家族に話を聞いたりすることが多いんです。ですので今回は逆サイドの取材になりました、、、。最愛の家族を失った遺族は、あまりの事の大きさにショックを受けている状態で、まだ何が起きたのかわからず、家族の一員がいなくなってしまったことも理解できないでいる、まさに実感がわかないんですね。そんな被害者に向き合うとき、私はなるべくその人の状況に近づけるように、色々なことを想像します。自分の日常と、自分の家族と被害者の状況を重ねあわせて、何か共通点は無いか、どうしたらその人のキモチを少しでもくみとってあげられるだろうか。それは、とてもむずかしいものです。「ジャーナリスト」として「客観的に距離をとる」ことのほうがよっぽど簡単だったりします。なぜって我々は数多くの事件・事故にでくわします。「感覚が麻痺してゆく」とは報道に関わっている人がよく悩みとして口にすることです。
「被害者の立場にたつ」というのは、取材者にとっても、むずかしいことです。

私はそのことを受刑者に伝えました。自分が犯した罪はあまりにも大きくて、把握できないかもしれない。でも少なくとも「わからない」と気づいていることは大きなステップだし、社会から逃げ続けていた自分に問題があると感じているなら、そこから抜け出すヒントは、「わかること」にあるのかもしれないから、
ゆっくり現実と向き合うように、頑張ろうよ、それができて初めて償えると思うよ、と言いました。どれだけ伝わったのかはわかりません。ただ彼は「普通の若者」だった。その「普通さ」は平和な市民生活を送っている人には想像できないかもしれない。いつも暴力の中にいた。誰かが死んでもおかしくない状況だった。でも彼の感覚はそのなかで麻痺していた。ある日、「それ」は起きてしまった、自分が人を殺めてしまった、、、
そのことと向き合うっていったって、どうやって向き合えばいいんだろう?
その受刑者は、「わからない」ということに苦しんでもいたのです。

たかが人が死んだくらいで、人を殴ったり殺したりしたらハクがつくと思った、殴るのが快感だった、少年だから軽い刑だろうと思った、人が傷つこうが関係ない、上辺の感情しかわからない、、、すぐ出られると思ったから反省するフリをしてた、、、
聞くことができた若者たちの本音。それは、今の日本社会の「鏡」のようなものだと感じました。
程度の差こそあれ、「他人は関係ない」という態度が生むトラブルにあった経験が無い人などいないのではないでしょうか。たとえば最近では乗客同士のケンカで電車が遅れる事故が関西と東京で相次ぎました。

「被害者に対して何とも思ってない、という受刑者が多いことが許せない」と苦しそうに語った受刑者は、グループミーティングで「殺したという現実感がない」という受刑者に、何度も「なんでですか?」と繰り返し聞いて、納得できずにいた青年でした。
実は彼はかつて暴走族にいて、泥酔しながらの危険運転でとても近しい人の命を奪ってしまった。
彼ですら、入所当初は「何で俺がこんなところに、、、俺だって被害者だ、、、」というキモチが強く、自暴自棄になっていたそうです。
でも死なせてしまった親しい友人のご両親から手紙がきて変わったんだそうです。
「がんばってほしい、と書いてあった。最初は意味がわからなかった。でも、その時から初めて、
自分が犯した罪の大きさに気が付いた」

昨日スタジオでも申しあげたことですが、教育官の方がおっしゃっていたことです。
愛情を知らず、怒りしか知らない人間に、人の悲しみを知れ、といっても無理だ、と。まずは愛とは何か、人が人とつながって生きるということは何か、ということを知らせないといけない、そのためには、犯罪者に甘いと言われても、まずは愛情を与えないといけない。一人の人間として向き合ってやらないといけない。
そこから初めて罪を知る一歩が始まるんだそうです。

社会の片隅に、どんどん追いやられていく若者がいて、私たちは彼らからなるべく目を背けたいと思って生活しているような気がします。彼らが行き着く最果ての場所が少年刑務所なのではないでしょうか。
生まれて初めて刑務所に足を踏み入れて、思ったのは、社会の一員として、私も、そして誰もが、「刑務所」という場所で「どのように」罪が償われるのか、についてもっと考える必要があるということです。
実は、自分で思うほど「少年刑務所」というのは自分と遠い場所ではないのかもしれない、まさに
そこはわたしたちが生活している「ふつうの社会」の鏡のような場所。だからこそ、彼らのありのままの姿を見つめようとすることは、とても大事なことだと思います。

投稿者:七尾藍佳

2007年04月25日

長崎市長銃殺事件と「蕎麦」と暴対法

事件が発生すると、まず背景としていろいろな原因の可能性を考えます。故伊藤一長前長崎市長が銃撃されたときも、容疑者が暴力団組員だったこともあり、いろいろな可能性が頭をよぎりました。長崎にたつ前に色々な情報を調べてみると、長崎市で不正会計が問題になっていて、それが選挙の争点のひとつになっていたことなどがわかってきます。もしかするとそれが関係があったのか?と考えてみたり。

そして実際に事件の現場にはいってみると、いろいろと生々しい人の声が直接自分のなかに飛び込んできます。でもやはり真実は、この段階ではわからない。城尾容疑者の立場から発言する元妻にインタビューをして、そして弔い合戦に出馬した横尾氏にインタビューをして。

思えば異常な事態です。加害者側の意見を聞き、極悪非道な罪を犯した容疑者もまた人間であったことが否応なしにわかる。それはそれで当然のことなのです。
そして次に、最愛の父を失った長女を守るようにして演説に向かう娘婿にマイクを向ける。
「義父のためになんとか頑張る、今はそれしか言えない」という横尾氏。

伊藤前市長が亡くなった当日、銃弾に倒れた選挙事務所前から中継しました。
準備をしている間に伊藤氏がひいきにしていたお蕎麦屋さんが蕎麦を持ってきてそなえていた。
「いつもどうもありがとうございます。おいしくめしあがってください」
まるでまだ伊藤氏が事務所のなかにいて、かわることなく選挙戦をおこなっていて、小腹がすいたので蕎麦を頼んだところに届けにきた「せいろ」にそえられたメモのようだった。

その蕎麦を見て、まだまだこの段階では真実はわからないけれど、ひとつの真実の手応えのようなものを感じました。わかったのは伊藤氏の人柄です。
彼は、愛され、尊敬されていたのだと思います。

羽田空港に帰ってきて、町田でまたしても暴力団組員による殺人事件が発生し、犯人がアパートにたてこもっているというので、羽田から町田まで直行しました。
いつ警察が突入するかもわからない。いつ犯人が発砲するかわからない。目の前を警視庁の特殊部隊SITがアパートのドアの前を行ったり来たりしている。その様子を移すカメラのモニターの前から離れることはできない。

その夜、NEWS ZERO内で二度中継がありました。

仕事が終わって、やっと週末がやってきて、そして統一地方選挙がありました。
横尾氏は、僅差で長崎市長選に落選。
「長崎市民の伊藤一長へのおもいはこんなものなんですか!」と気を失いそうになりながら泣き叫ぶ長女の優子さん。でも彼女は、そんなことを言っても、選挙は選挙で仕方がない、それが政治なのだと、12年間市長の娘でありつづけたのだから誰よりもよくわかっているのでしょう。
だからこそ
「こんなことをいってごめんなさい、、、」と声にならない声で付け足した。それでも叫びたかったのだろうと思います。

妹から「長崎の事件は本当にかわいそう、なんとかならなかったのか、、、」
とメールが来ました。そのときふと我に返った気がしました。うまく説明できないんですが、なんだかエンドレスな非日常のなかに引きずり込まれて、自分がどこにいるのかわからなくなっているような、、、。
確かだったのは、長崎の選挙事務所前に整然と並べられた花束の横にそえられた一膳の「蕎麦」だったような気がします。

今年になって住吉会小林会と、山口組系国粋会のこ抗争が渋谷と六本木で連続して発生したときに専門家に聞いたことですが、暴力団対策法が施行されてから、暴力団は経済的にかなり厳しくなっている。そんな中で、いわゆる「仁義」というものでの統制が、特に若いものに対して効かなくなっている、ということなんですね。法律がかわり、構成員の犯した罪に対して、組のトップも責任を負うことになっているにもかかわらず、組員の暴走が相次ぐというのは、まさに暴力団の逼迫した状況を表していると、追いつめられている、ということなんです。ということは、これからも暴力団関係の事件が続くことになるのかもしれません。心配です。さらには、六本木をはじめ都心の一部の地域では地価のバブル的な高騰があり、一部ではいわゆる「地上げ」が横行しはじめている、という話も不動産関係者から耳にします。
追いつめられた暴力団が、何とか利益を「地上げ」から得ようする状況も出てきているようです。
こちらも注視していかないといけません。


ところで村尾さんの中谷さんの書き込み、「ハト派ですね」という村尾さんに対して「実際に戦場に行くのは自衛官ですから」という答えをみて思い出したことなんですが、自衛官にたくさん取材して小説を書いている福井晴敏さん(「亡国のイージス」など)にインタビューをしたとき、福井さんが、
「自衛官に話をきくと、「今のままの憲法でいい」という答えが返ってきますよ。彼らは現場を知っている人間ですからね。武力というものの厳しさがどういうものかを肌で知っているから」とおっしゃっていました。現場の意見ももっと聞いてみたい気がしますね。

投稿者:七尾藍佳

2007年03月19日

築地市場が「NHK」に?!

先日3月7日に築地市場移転問題の取材に築地にいきました。築地市場を豊洲に移転させ、オリンピックが招致された暁には跡地にオリンピックのメディアセンターを建設する。しかも将来的には「NHK」をここに移転させるかも?!というなんとも遠大な計画があることをご存じでしょうか、これに関連した取材です。
移転先の「豊洲」には、ゆりかもめ線の「市場前駅」がすでにできています。駅のまわりにはだだっ広い空き地が広がるだけで、なぁんにもありません。その空き地が「市場移転予定地」。現在の「築地」が銀座と隣接していて、銀座・有楽町界隈で働く方や、歌舞見物などをした外国の方も足をのばしやすく、銀座にある料理屋の板前さんが気軽に自転車で買い出しにこられる場所にあるのと対照的です。繁華街のなかの市場、それが築地。
3月7日は、移転に反対する水産仲卸業者のかたがたのデモ行進がありました。「市場を考える会」代表幹事をされている山崎さんにお話をうかがいました。どうして反対するのか。そもそも豊洲の移転予定地にはもともと東京ガスの工場があって、過去に基準を上回るシアンやベンゼンなどの有害化学物質が検出されています。すでに土壌は「浄化」されているので安全性に問題はない、と都側は主張してきましたが、築地市場の移転反対派は、「地下水が出てきたときに本当に有害物質が出てこないと保証できるのか、そんなところで<消費者の口に入るもの>を取引して、納得してもらえるのか」と反対しています。
実は築地市場協会は会長をはじめ移転に賛成しています。つまり築地市場サイドの意見は割れているのです。施設の老朽化、衛生面の問題、築地市場をこの場で改装するには莫大な費用がかかる、といったことが賛成の理由。
そこで「場外」と言われる料理店や商店のかたにお話を聞いてみました。最初はみなさん、口が重い。
「会長は賛成しちゃってるからね、言ってもしょうがないよ」というつれない返事。そこで
「ということは結構複雑な心情ですよね?だって本当は残りたいんですよね?」
と聞くと、よくぞ聞いてくれました、とばかりに話してくれました。
「うちらはさ、お魚やさんがいないと成り立たない商売でしょ。だからおおっぴらに協会が決めたことに反対できないんだよね。でもさ、やっぱ築地だからてみんなお客さん来てくれるわけ。息子に聞いてよ、息子は一応賛成はしてるからさ」
親子二代の間でも意見の食い違いがあるようです。息子さん登場。
「いやね、うちのオヤジの世代がさ、築地ブランドをつくってきたわけですよ。それにおんぶで抱っこのままでもいけないよね。やっぱりここは老朽化してるし、衛生面の問題だってもっときちんと管理できるようにしないといけないし、いつかは動かなくちゃいけない。だから、豊洲に移転したら、おれらが頑張ってまたみなさんに愛してもらえるような豊洲ブランドを作らなくちゃなって思ったわけですよ」
七尾「でも移転費用とかかかるし、家賃も上がりますよね?大変じゃないですか?」
息子さん「そうね、それは心配。うちはさ、もともと魚屋さんのために、ここで開かせてもらってるから、そのために安くしてるっていう自負がある。移転でもお金かかるし、いまの値段保てるかっていうとかなり厳しいよね。あと、計画見てみたらさ、こういう風にお客さんとコミュニケーションが取れる開かれた構造じゃなくてさ、なんか無菌室みたいな閉じられた感じで、、それを見たらやっぱり最初と話が違うっておもったよね。築地の、<いちば>の楽しさがなくなっちゃうような建物じゃ、やっぱり厳しいよね」。
なるほど、、、賛成はしたものの、、、っていう感じなのですね。
隣の料理屋さんにも声をかけてみました。同じく最初はやや冷たいあしらい。食い下がって、「となりのお兄さんが、賛成は一応したけど、やっぱり本音はここにいたいみたいです」と言うと、さばさばした若い女性が、
「当たり前じゃん。だってここで育ったんだよ。築地が好きなんだよ。ここにいたいに決まってるじゃないか。一応反対運動もしてるんだよ。でも勝手に移転するって上のほうでは決まっちゃったみたいだしさ。もっとこっちの意見も聞いてほしいよ」
と答えてくれました。
どこの国でも、むかしながらの<いちば>って必ず観光スポットにはいってきますよね。市場特有の活気、万国共通の<人情>みたいなもの。新鮮な食材のにおいと、いつも生ものがあることによる独特のにおいが混ざった不思議な空気。どこよりも、その土地らしい元気な人々があたたかく威勢よく迎えてくれる。そういうものっていわゆる<ハコモノ>行政で移し替えることって、至難の業なのではないかしら、、、。
築地市場の運命やいかに、、、。


投稿者:七尾藍佳

2007年03月12日

松岡大臣に本当に聞きたかったこと

ひきつづき松岡農水相の「光熱水費」計上問題が波紋を呼んでいますね。2005年に507万円の光熱費を計上したけれども、水道代・電気代は議員会館全体として支払われ、議員事務所自体は一銭も払わなくていいのだから、これは不正計上ではないか、そうでないとすれば一体何に使ったのか明らかにしてもらいたい、という追求が民主党側から出されました。これに対して松岡大臣は「なんとか還元水」などをいれている」といった苦し紛れの返答、「確認する」といっておきながらその後一転して
「現行制度にのっとって「適切」に処理しているのでそれ以上のことを開示する必要はない、中身に関しては制度自体に関わることなので差し控えたい」
と答えました。「制度自体に関わることなので差し控えたい」と言うのはつまり、事務所経費に関しては領収書を添付する必要が無いことの是非をめぐって民主党と自民党が対立していることから、領収書を添付しなくていい、公開しなくていい、という態度をとっている自民党の<党の考え>に逆らってしまうから、、、、ということなのでしょうが、それではまるで、本来ゼロ円のところを507万円も計上していることの真実を明らかにしないことが<よいこと>であるかのような言いっぷりです。
この問題に関して、各所に取材にいきました。この<項目>自体のVTRの<尺>は3分30秒、つまりその中に入れるべく効率よくいろいろな取材をしなければいけません。そのためには、<アタック>という取材対象者への<直当たりインタビュー>ではせいぜい一問、それも限られた<動線>の中で間に合うくらいの簡潔なものに絞りきらないといけない。
私に与えられたチャンスは3月9日金曜日の午後14:00,国会内の予算委員会での答弁を終えた松岡大臣が、委員会室から出てきて階段を下るまでのほんの10メートルほど。
そこで私が聞いたのは
「本当に一本5000円の水を飲んでいるのですか?」

松岡大臣は、苦笑しながら「またそんなこと、、、ふっふ」と答えました。
この限られたアタックチャンス、通常何も答えない人が多い中で、たとえ一言でも松岡大臣のコメントが取れてよかったと思います。その苦笑している表情、そしてこれだけ国民の神経を逆なでしているのに
「そんなこと」とまるで取るに足らないことのように答えていることで、なにやら問題の本質のようなものがかいま見えるのです。

ですが、私が本当に聞きたいことはもっとたくさんありました。もし時間と場所が与えられたのなら。
今手元に日本テレビの「記者手帳」なるものがあります。関係各機関の緊急連絡先などが書いてあり、記者や報道番組制作者が持つものです。このなかに、取材に向かう前に頭の中を整理するためにいろいろな情報のメモ、質問したいことなどが書いてあります。

2007.3.9のところにこうメモってあります;

松岡大臣資金管理団体、議員事務所光熱費として計上
2001年 659万円
2002年 797万円
2003年 416万円
2004年 518万円
2005年 507万円   2001~2005 計2880万円也

では実際にほぼ同じ構造を使っているほかの議員はどうなのか、民主党の市村浩一郎議員に事務所内を説明してもらいました。市村議員の事務所には、飲料水用として大きなボトルを逆さまにして入れ、冷たいのと熱いのが両方出る口がある、よくオフィスなどにおいてあるものが設置されてありました。
「これにはおいくらかかりますか?」と伺ったところ、秘書の方がおもむろに大学ノートを開いて議員に差し出しました。領収書が所狭しと貼られた大学ノート。しかもスペースを節約するためか、領収書のほんの一部がのりづけられ、下の領収書を見るためには上のものをめくるようになっています(笑)。

そのミネラルウォーターは、一本12L入りで、月にほぼ二回変えにきます。一本1260円なので、一月の領収書は、2520円でした。年間30240円です。
同じ水のサービスを入れている議員はほかにも結構いる、とのことでした。
507万円って一体、、、。

さらに私の記者手帳には、松岡大臣に聞いてみたい質問が並んでいます。

Q.「今時「水道水」を飲んでいる人はほとんどいない」ということですが、水道代さえ払うのに苦しんでいる人がたくさんいる中でその認識はズレていませんか?

Q.現行制度にのっとって、、、と言いますが、その制度におかしいところがあれば直していくのが内閣の仕事ではないのですか?

Q.「適切」といっても有権者の目からみて507万円が適切でないのでは?ということです。有権者の声は無視されるんですか?

Q.領収書がいらないから「不正」がまかりとおってしまうような「制度」自体は「適切」なんですか?

こういった疑問もすべて「またソンなことを…笑」で一笑に付されるのでしょうか。

同じく先週3月6日火曜日、民法772条の「離婚後300日以内に生まれた子供は前夫の子どもとする」という規定によって、お子さまが無戸籍になってしまったご夫妻のお宅に取材にうかがいました。
この夫妻の赤ちゃんは、二か月でしたが、やっと普通の赤ちゃんが生まれたときぐらいの重さ、3000グラムに達したということで、まだとっても小さかったです。スタッフがたくさんの機材をもってわさわさしているのにすやすや寝ているので、「おとなしくっていい子ですね」と言うと、お母様が
「早産で生まれて、ずっとICUにいたので、まわりでしょっちゅうブザーが鳴ってたり、看護師のかたが動いていたりするので、なれているのかも、、、もしかするとむしろ落ち着くくらいかもしれませんね(笑)。」とおっしゃっていました。

そのICUの入院費用で、70万円支払ったそうです。本来は乳幼児医療は現在は無料になります。
ところがICUだと高額になってしまう。住んでいる区の「温情処置」によって保険証だけは交付されたため、三割負担になりました。
「保険証を出してもらえなかったら一体いくら払わなければと思うと怖いです。でも自治体によっても対応もばらばらで、保険証も出さないところだってあるんですよ。そうすると医療が高額になって、赤ちゃんの命に関わるんです」ということでした。
この方は、300日規定をご存じだったのですが、予定日が340日たってからだったので大丈夫だろうと思っていたら、切迫早産になり、帝王切開をされました。医師に「離婚してから300日以内なんです」と言うと、「そんな余裕はもうないんです!」と言われたとのこと。

「もともとは女性のためを思って制定された法律だったかもしれない。でも医療も発達して、人々の生活の在り方も変わってきた今、なぜ百年も前の法律によって毎年3000人もの人が不幸せにならなくてはいけないのでしょうか。この子は、間違いなく今の夫の、この人の子どもなのに、なぜ違う人の子どもにならなくてはいけないのでしょう。「子どものためにとりあえず前の夫の子として戸籍をもらえばいいじゃないか」と言う人がいますけど、でもこの子が大人になって、戸籍を見たときに、「自分の父親は違うかもしれない」と悩んでしまったらどうすればいいのでしょう?」

そして最後に
「法律は私たちを守るためにあるものとずっと信じて疑わなかった。でも今、その法律によって苦しめられている。それも明治時代の時代を背景に作られた法律に。今すぐ、何とかして欲しいです」

とおっしゃっていました。
折しも、安倍政権は「憲法改正」を命題にしています。
同じ変えるなら、もっとほかに変えるべきことがあるのではないでしょうか?
「わたしたちのための」憲法改正、それを考える「やさしさ」をもっと持って欲しい。

そして、「問題」があると認識しているからこそ「憲法」を変えたい変えたいと言っている
内閣の大臣が、
誰が見ても問題ありと思えて、議論の対象となっている制度をたてにとり、
「制度にのっとって<適切>に処理している」と人々の疑惑を封じようとし、政権としてもそれを了承する態度であることは、果たして<適切>と言えるのでしょうか、、、?


 

投稿者:七尾藍佳

2007年03月01日

ハリウッド中継風景。

CIMG0257.jpg
こういう写真って珍しいのではないでしょうか。月曜日の番組の中継直前、パネルの位置を相談しているところ。「もうちょっと前じゃない?」とか。ライトの当たり具合とかあるんですよね。
左にたっているのは取材前半、「やくたたず!」のそしりを受けていたけれど、取材後半にきて、ひょんなことからカメラマンがカメラのあるところにLAPDの規制で戻れなくなってしまったために、生まれてはじめて大きなカメラをAUTOモードで回して見事エコ・リモという私たちが取材したプリウスを使ったリモ・サービスで到着するスターの映像を撮影した長野AD,「う~ん?もうちょっと右じゃない?」とか考えている七尾、そしてZEROスタッフのひたすら動き回る取材にもよろこんで(たぶん、、、)つきあってくださった宗円カメラマン。このあと中継、そしてホテルにいって荷物をピックアップして即効ひこうきにのりました、、、。

投稿者:七尾藍佳

レッドカーペット!

CIMG0254.jpg
授賞式が開催されるコダック・シアター前の会談、そしてレッド・カーペット。授賞式前日なり。
左から、七尾、コーディネーター(映画関係のライターや、バイヤーをされています)の石橋さん、ディレクターの鴨井さん、ADの瀬田さん。みんななんか嬉しそうです♪

投稿者:七尾藍佳

ハリウッドから帰ってきました。

CIMG0239.jpg
お久しぶりです、、、七尾藍佳です。最近ブログ更新してないね、してほしいなぁ~
と、ゼロスタッフをはじめ各方面からいただいていたんですが、なんでこんなに更新がとどこおっちゃったんでしょう。
忙しかった、、、う~ん、そういえば北京に六か国協議に昨年末行ってからずっとあんまり出動がなくパソコンの前でまとまった時間が取れるということがなかったような気がします!
でもいいわけですね~。
現場に行っているうちに、ひとつひとつのニュースに絡んでくるいろんな「事情」が複雑すぎて、ブログという場所である程度まとまった形の文章にすることが難しく、なんとなく書けなくなった、、、
これもいいわけなんだけど、ある意味あたっています。
でも色んなこと考えてるんだったら書いたほうがいいですよね。うん。そうだ、そうに違いない!
というわけで、久しぶりに写真アップします(あ、六か国協議の写真って、もらっているんですが、
ごらんになりたい方いらっしゃいます?いらっしゃったらゼロまでメッセージで送っていただければ、、、、なんか時間がたってしまったので、今更って感じがするので自らアップするのはちょっと気が引けるのですね、、、)

先週金曜日からLos Angelesはハリウッドに行って参りました。アカデミー賞授賞式会場前で、スターの姿を一目見ようと早朝から場所取りをしている人たちに聞いてみました。

みなさん、「硫黄島からの手紙」は、すばらしい映画だと異口同音に答え、「バベル」もすばらしい、さらには菊地凜子はすばらしい女優で、とてつもない存在感だ、とおっしゃっていました。
凜子さんが助演女優賞ならず、ということで日本ではかなりな残念ムードですが、でも、実際現地で取材してみると、オスカーがいかに大きくて華やかで、ものすご~いイベントかどうかがよくわかります、警備もものものしいです、そんなアカデミー賞に数多くの日本人の名前が並んだこと、それがどれだけ大きなことがよくわかりました。
日本人のみならず、メキシコ人監督三人だけで16ノミネートですよ!イギリス人、スペイン人、中国人、いろいろな国の人々が壇上にあがり受賞スピーチを行いました。授賞式前も、授賞式も、みんなの話題はとにかく「diversity」、つまり「多様性」。この場合、人種、国籍、文化、が「多様」ということなんです。
そしてアフリカン・アメリカンの受賞者も、たくさん。ABCのコメンテーターが、翌日、
「リベラル・ハリウッドの祭典」と言っていました。そう、ハリウッドの関係者の多くが「民主党支持者」であることはよく知られています(ブルース・ウィリスとかは少数派)。たとえばジョージ・クルーニー。彼はどこかの段階で出馬するのではとも言われていますよね。「リベラル」の象徴で言えば、ゲイであることをカミング・アウトして一時仕事を干されたけれど現在は人気司会者・コメンテーターのエレン・デジェネレス。そしてそのエレンに、「ジェニファー・ハドソンは「アメリカン・アイドル」で国民の支持を得られなかったけれどオスカーを取った、一方で選挙では国民の支持を得たのに大統領になれなかったアル・ゴアもこんなところに!」と紹介されていたゴア元副大統領の「不都合な真実」が2冠。

そんななかで、政権内からは、環境に関するオフィシャルな報告書が、エネルギー産業に都合がいいように書き換えるよう圧力がかけられたことなどを告発する動きなどが見えています。

ここ数年間世界中の人々がアメリカに対して大きなあきらめを抱いてきましたよね。
いわゆる「ネオコン」の横暴とも言える「正義」の御旗の裏に隠れた利権と自己保身、、、アフガンはまだ許せたとしてもイラク開戦は世界中の人がNOと唱えた。アメリカ国内の心ある人々は、少しでもイラク戦争反対を言おうものなら「反国家主義者」のレッテルを貼られ、なにも言えなかった。
そんな時代が思いの外長くつづきました。でも今では、多くのアメリカ人が、自分たちはだまされていた、9.11とイラクに関連性があるとだまされて戦争をさせられた、と現政権に対して憤っています。
やっと、9.11のくびきからアメリカが脱して、懐の広さをもう一度取り戻そうとしているかのようです。
自分自身を批判し、顧みることが何よりも一番むずかしい、でもアメリカは今それをしようとしているようです。
京都議定書から脱退したのはブッシュ政権ですが、「環境」へのアカデミーの熱い思いは、それに対する何よりのアンチテーゼでしょう。
気候変動は英語でClimate changeと言いますが、これは「風向きが変わった」という意味合いで使われることもあります。多くのメディアで、今年のアカデミーでは「climate change」があった、という表現が使われていました。まさに、新しい風が吹き始めている、それを感じさせるオスカーでした。

書くと長いな、、、苦笑。

投稿者:七尾藍佳

2006年12月26日

宮内庁庁舎前のNEWS ZERO スタッフ。

DSCN2517.JPG
宮内庁って昔ながらの建物が奇跡的に残っていて、終戦後一時期昭和天皇が生活されていたんですって。だから中は「宮殿」の作りなんです。
いろいろと勉強になりました。

投稿者:七尾藍佳

北京日記の前に一般参賀について。

DSCN2509.JPG
連日氷点下の北京取材から帰ってきた七尾です。
北京でも写真をたくさんとったのですが、カメラマンのデジカメで撮ったのでいまもらえるのを待っているところ。写真とともに北京、六か国協議を振り返ってみたいと思います。
ところで23日の天皇誕生日、一般参賀に生まれて初めていってきました。
NEWS ZERO配属前まで宮内庁担当だったスタッフの呼びかけで、NEWS ZEROスタッフ五人で一般参賀体験、さらに宮内庁見学を急遽させてもらえることになり、
何の気なしにジーンズで行ってしまった私は赤絨毯がしかれている宮内庁内で穴があったら
入りたい気持ちでした、、、男性はモーニング姿だし、浮くわ浮くわ。

これがその写真です

投稿者:七尾藍佳

2006年12月11日

厚労省と経団連、年収400万円以上サラリーマンの残業手当無くしたいらしい

今日のニュースで,
厚労省が、ホワイトカラーエグゼンプション「労働時間規制適用免除制度」
ホワイトカラー労働者の
残業・休日出勤手当ゼロを
合法化する制度

を導入しようとしているものがあります。
年収400万円以上のサラリーマンが適用範囲らしいです。ちなみに日本のサラリーマンの平均年収は440万円。

日本のサラリーマンの残業手当は世界一らしいです。
それだけでなくて日本のサラリーマンの労働時間は先進諸国中やはり今もいろいろな事情を考慮すると一番長いらしいです(非正規雇用もいれると)

残業に関してはいろいろなケースが在ると思います。
残業手当をもらえず、パート・派遣といった契約で仕事をしている人々。
残業をいっぱいしているのに、名ばかりの管理職の肩書のために残業手当をもらえない人々。
残業手当をもらうためだけに、ネットサーフで時間をつぶす正社員。

年俸制で残業手当などど一切なく、恐ろしいほどの労働量をこなしているが、実際に成果をあげて何千万のボーナスと年俸を手にする人。

やっぱり問題は日本企業の効率の悪さだと思うんだけど、、、。
年功序列を制度上残しているところは、ひたすら会議、会議で、現場の人間は何も決められない、、、という現実っていっぱいありますものね。

残業手当を無くして成果主義をさらに進めさせよう、というのが厚労省の思惑だとは思うんですけど、それ自体はいいのかもしれないけど、社内の昇進制度が、今のような年功序列型が残った物だと、若手は損ばっかり。権限を、もっと現場に職務ごとに委譲する用意があるんだったら、いいかもしれないけど。
成果主義っていうのは、お金の話ももちろんだけど、社内の「仕事をやる権限」の改革と一緒にないと、そもそも成果自体あげられないと思うんですけどね。
ちなみにこれに関しては私の個人ブログに書きましたので興味あるかたはこちらへ↓
http://nanaoaika.com/?p=413格差って何と何の格差?
城繁幸さんの『若者はなぜ3年で辞めるのか 年功序列が奪う日本の未来』
光文社新書
を読んでみての投稿です。

投稿者:七尾藍佳

2006年12月05日

おまけ。

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函館金森倉庫郡の巨大クリスマスツリーにて、中継のかたづけがおわったあとの一枚。地方ロケにいくと、とまりになるので、すぐ修学旅行モードになってしまいます、、、。AD吉田くん、ディレクター、プロデューサーのみんなと。NEWS ZEROはこんな雰囲気の中作られていま~す。

投稿者:七尾藍佳

道南食道

dounanshokudo.JPG
こちらです!ぜひ函館にいらっしゃるときには足をお運びください!

投稿者:七尾藍佳

ど~ん!

uniikura.JPG

函館駅の向こう側にある朝市にて、「道南食道」での朝ごはん!おいしかったぁ!ほんとにおいしいんですね、テレビや北海道にいったひとの話などでよく耳にしたり目にしたりしますが!
サービスでだしていただいた山わさび、卵焼きも全部おっきくってあったかい味でした。

投稿者:七尾藍佳

朝7時半の函館駅前

station.JPG
真っ白な雪景色で、こんなにキレイな駅ってあんまりみたことありません。とても静かです。ちなみに隣にいるのはプロデューサーの山崎氏。いつのまにかディレクターに後ろから撮られていた一枚、、、。

投稿者:七尾藍佳

函館から帰って来ました。

xmastree.JPG
七尾藍佳です。
函館からの平原綾香さんのライブ中継ごらんいただけましたか?
氷点下のなかでの心のこもった熱唱でした。実は、感極まって平原さんは謡い終わったあと涙を流していたんです。戦争のない世界を、という願いをオトナになったらクリスマスのお願いにしたい、「クリスマス・リスト」はそういう曲で、その思いをとにかく伝えたいという気持ちで歌われたそうです。
かなりシビアなコンディションで、つま先や指先の感覚がなくなっていくなか一生懸命歌ってくれたその曲は、多くの方々の心を動かしたのではないでしょうか。
「カメラマンさんやスタッフのひとみんなの「情熱」が伝わってきて、よいライブを届けなくっちゃ!」って感じ取っていらっしゃったそうですよ。
そうしたら、直前まで止んでいたのに丁度サビのところでわぁっ!って雪がふってきて、ほんとうにキレイでした。

投稿者:七尾藍佳

2006年11月22日

復党問題 先送りに。山本一太議員ぶらさがり

こんばんわ。今日も取材から帰ってきたばかりの七尾藍佳です。
結局「結論先送り」です。復党願の提出願がさらにのびました。ただ、ここにきて、
党内の郵政の「踏み絵」は踏ませるな、という意見がある中、
党側の責任者中川幹事長は「郵政民営化」への賛意をはっきりと示すことを条件に含めたことで、
復党に対して(復党支持者からしてみれば)かなり厳しい姿勢をとりました。
そこで、東京都心のホテルで開かれた復党に慎重な若手議員の会合に現れた
山本一太議員に「ぶら下がり」インタビューを行いました
(注;報道用語で、対象に「ぶら下がる」ようにインタビューするので「ぶらさがり」と言われます)
そこで、
「自民党は「永田町の論理」と「国民の声」のどちらを最終的に選びますか?」
と聞いたところ
「それは間違いなく「国民の声」でしょう」と力強く言い切っていました。
どこまで「若手」の声は執行部に伝わるのでしょうか。

一方の「造反議員」(というよりも「離党議員」といったほうがいいのでしょうか)リーダーの平沼議員ですが、ブログに書いた昨日の講演ではっきりと自説をのべたときの堂々とした表情、「踏み絵は踏みません」といったときの雰囲気とくらべると、中川幹事長との会談後の「ぶらさがり」では声も小さく、疲れた、元気のない表情でした。会談後、「離党議員」への説明がかなり時間がかかったので、「リーダー」である手前、問題は自分一人の去就にとどまるわけもなく、11人の国会議員の命運もかかっているし、どこまで強くでるべきなのか、どこまで周りを道連れにすべきか、といった感情がせめぎあっているのではないだろうか、と推察できます。

投稿者:七尾藍佳

復党問題、踏み絵問題に

七尾藍佳です。昨日一日自民党造反議員復党問題の取材にあたり、日テレに戻ってから東京都駒沢で水道管が破裂し、冠水、と言うニュースがはいってきたので、その取材に向かいました。泥と汚水が吹き上げ、郵便ポストがかしいで、歩道がめくりあがっているという惨状、水の力に驚愕しました。
住民のかたも、家や店、事務所の被害を詳しく説明してくださり、非常に取材に協力的でした。やはり、こういった被害は、きちんと伝えて、将来的になるべく防ぐことができるように関係諸機関にうながす、ということが大事だと思います。
復党問題ふたたび。
平沼議員の講演を聴いていて、まさに「保守」(あるいは「ネオコン」か)ここにありき、という政治家だな、と感じました。郵政民営化と皇室典範改正をめぐる自身の考えをとうとうと述べ、たしかに彼の行動とその政治信条には「一貫性」があり、政治家としてその姿勢自体は評価すべきものがあるのではないでしょうか。彼の「政策」に賛成か反対か、それは有権者が決めることであり、大事なのはその政策に一貫性があるかなしか、ですから。
郵政民営化法案に彼が上げた三点は:1、郵政民営化の意思決定プロセス、つまり小泉政権のトップダウン方式に異議あり。2,いわゆる「ハゲタカファンド」といわれる外資に郵貯が狙われる可能性、3,日本全国すみずみまで行き渡る郵便システムが崩壊することの損害、です。
たしかに、郵政民営化に関しては、たとえば葉書や切手などの独占販売による収益が、ゆうぱっくなどの値段を低く抑えさせ、民業圧迫しているといった問題はたくさんあります。でも、郵政民営化で問題となったのは世界で一番大きい「銀行」が「郵便局」であること、です。そこから巨額の資金がよくわからない投資や公共事業に流れたりしているという様々な弊害が生まれ、それを是正し、民にたくし、競争にさらす、というのが焦点だったはず。
見方によっては「外資に狙われる」ということになるのかもしれませんが、同時に邦銀も日本企業を外国企業を「狙う」ということもある。平沼議員は経産相として、時としてアメリカのいいなりになりがちな官僚の姿を目の当たりにして危機感を募らせていったのかもしれません。講演のなかで、郵政民営化法案が参院で否決された際のアメリカの新聞に「我々アメリカは三兆ドル手にするのが先となった」と書かれたいた、として、そのことに憤慨されていました。でも、私が当時の欧米メディアを見ていた限り、そのような偏った報道はされていませんでしたし、郵政民営化法案の細部に渡って分析する記事も多かったし、それよりむしろ「小泉政局」の行方とこれからの日本の方向性を検証する記事が大半をしめていました。また、「格差」という大きな問題はあるものの、日本国民は郵政民営化を含め、大きな意味での行政改革とさらなる規制緩和と自由主義経済とグローバル資本主義には積極的なゴーサインを何度となく与えてきているわけです。それは、ひとえに、官主導であった経済にNOを突きつけたということだと思うのです。それが、郵政選挙における大きな意思表示であったのではないでしょうか。
「国益」をどうとらえるのか、つまり「日本国」だけの、より伝統的な意味での「国益」を考えるのか、あるいは複合的に関わる世界情勢のなかでの「国益」なのか、それが復党問題では問われていて、最終的には、日本人の「世界観」が問われているような気がします。
それはそれぞれの意見があると思います。保守とリベラルと大きくふたつにわけられるものでもありません。国民の数だけ、国の姿があるのかもしれません。
その点では、平沼議員は筋を通したし、政治家として一定数の国民の意見を代弁しているし、きちんとこのまま代表しつづけていかれるでしょう。
政党主導、政策中心の政治を目指す今の日本、自由主義経済のなかで生きていく日本のありかたを、私たちが一人一人が改めて考える契機となっているのが今回の「復党問題」。

おっと、もう国会にいかないと、、、。

投稿者:七尾藍佳

2006年11月21日

復党問題

お久しぶりです、今日は自民党「復党」問題の取材中の七尾です。自分の頭の中を整理するためにもブログに書いてみます。「郵政選挙」で郵政民営化法案に反対票を投じて除名された議員の「復党」をめぐって自民党が揺れています。今日は、反対派、賛成派、復党がかかった議員、小泉チルドレンあいまって会合や講演などが相次ぎ、まさに「山場」です。
焦点は、「改革政党」に生まれかわったはずの「自民党」がここにきて世論の反対を押し切って「復党」を認めてしまうと、一気に古き(悪しき?)自民党、「永田町の論理」で押し切る自民党に戻ってしまうのではないか?というところです。
ただ、問題は複雑で、実は復党を目指す議員のリーダーである平沼議員は、政策の面では(郵政をのぞくと)安倍さんとそっくり。「盟友」とも言われています。
要するに、果たして安倍総理はどこまで、本当に、「改革派」であるのかどうか、が焦点となる問題です。
今日はこれから色々取材に出るのですが、いくつかこれまでにニュースで流れた関係者のコメントをおさらいしておきたいと思います。

1 0/14頃 中川幹事長 岐阜の講演で
   「民営化をもりこんだ安倍総理大臣の所信表明に賛成しない限り、復党は認めない」
(一方で青木参院会長ら参院側は落選した議員も含めてできるだけ早い時期に一括して復党させるべきだと主張)
10/24日頃 小泉氏
   「既得権者の票、郵便局の票をあてにしていたら参院選で負ける」と造反組「復党」には慎重な姿勢。
10月25日頃 安倍総理
   「最終的には党の判断をきいた上で私が判断する
 (注;と言い切った以上、「復党」問題はまさに安倍総理のリーダーシップが問われる試金石)
・武部前幹事長
   「参議院しっかりしろってんだ。一人で当選できないんだったら辞めろ!既得権者の票をあてにして、絶対参議院はかてないって小泉元総理も言ってましたよ
(おおっと!かなり強い発言。でも最後はやっぱり「小泉」氏なところが武部氏らしい、、、)
・民主党の菅直人議員
   「使い捨て政党だ
  (注:小泉チルドレンとして持ち上げておいて、刺客として戦った相手を復党させるという自民党の動きに対して、、、。「使い捨て」と言われている「チルドレン」の胸中やいかに?)
・森元首相
   「閣僚経験者にもいろんな政党を渡り歩いた人がいる」として復党を支持。
 (☆でも「政策」によって「政党」を移動するのは在る意味当然といえば当然、、、それとこれとは別問題では、、、?)
11/21午前 中川幹事長
   「(復党希望者は)党の審査で、自信の言葉で語り、国民の理解を得る。必要に応じて個別に質を行う」ことが復党の条件であること発表、復党願の提出期限を24日金曜日とした。


また、造反議員は年内に復党できなければ、政党助成金のもらえる新党を結成しようという動きが出ているようです。まぁこれはそれほど本気だとは思えません、、、というのもここにきて造反議員の立場が一気に優勢になってきているからです。安倍政権の支持率が低下しており、「参院で負ければ、衆院の解散も」といった声が党内からも出てきている状況で、政権の体勢は盤石ではありません。そんな中で、これまで弱い立場であった造反議員は、来年の参院選の鍵を握るものとなったのです。
なぜなら!来年は、2001年の小泉フィーバーで参院圧勝をおさめて自民党議員の改選の年にあたる。ポイントは野党と一議席を争う一人区。全部で29あって、そのうち6つは、選挙地盤の強い造反議員9人がいるのです。(どこをとってもどれだけ「小泉」氏一人で政治が突き動かされてきたかがわかりますね)。
どうなる、「復党」。

投稿者:七尾藍佳

2006年11月10日

北海道佐呂間町竜巻取材

今週火曜日から水曜日にかけて、佐呂間町に取材にいっていました。
竜巻発生、9人死亡の一報を受けて、羽田に飛び、空港でザ・ワイドの村本さんや、リアルタムの鳥羽さん、各局の報道陣でいっぱいの便に乗ったんですが、なんとタイヤに異物が刺さっているということで一時間近く空港で足止め、いったん席に着いたのに、「重量がかかると点検ができないのでおりてください」とおろされたのは、生まれて初めてです。

女満別空港についたのが19時40分、佐呂間町まで来るまで一時間以上かかるということで、オンエア前にどれくらい現場で情報収集できるのかどうかとっても心配でした。
ついたら、テレビなどでごらんいただいている惨状、ちょうど「規制線」(報道陣もそのさきは入っていけないよ、という警察が張るヒモのこと)が今にも張られようか、というところで何とか現場に入り、レポートをすることができました。

家が一軒となりであっても、被害がまったくないところと、半壊しているところとある。つまり竜巻の通り道に当たるのか当たらないのかで大きな差が出てしまうのです。
佐呂間町で感じたのは、冬の寒さも厳しいし、自然環境が厳しい土地柄、お互いを助け合って生活している暖かい空気です。だから、亡くなったトンネル工事関係者の方々は、「土地になじんでくれてね、危険な仕事をがんばってくれていたのに、、、」と町のかたが声を詰まらせて語っていました。
竜巻が発生した日の佐呂間町の最高気温は18.5度、平年の最高気温は9度前後なんです。
どれだけ発生当日の気温が高かったかわかりますよね。その日の昼過ぎに雨がふりはじめたようですが、平年ですと、雪でもおかしくないそうです。
翌日は朝から気温が低くて、とても寒かったです。これから雪がたくさん降るとういのに、佐呂間町の多くの家屋が屋根を飛ばされてしまい、とても大変だろうと思います。
復旧作業と行政の支援がなるべく迅速に進むことを望みます。

投稿者:七尾藍佳

サラ・ブライトマンさん、東京タワーよりライブ中継

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先日東京タワーからサラ・ブライトマンさんのライブ中継をおこないました。本番前に「絵割」をチェックしているような時間帯、「絵割」って、つまりいつどこで「寄る」(くろーずあっぷ)するのかとか、「ひく」のか、とか(ずーむあうと)、どこで映像を切り替えるのかとか、そういうことです。
そういえば、私もテレビの世界(特に報道)は日が浅いので、わからない専門用語が多くて最初はこまりました。たとえばスタッフが画面にうつっちゃうこととかを「見切る」と言います。
「おい見切ってるぞ!」ってよくADさんが叱られるんです。
あと、ラルフさんが書いていた「項目表」。
これはそのまんまなんですが、
一つのニュースなりネタなりを「項目」という単位で呼びます。つまり、
今日の「目次」みたいなものですね。
どのニュースが何分から何分まであって、制作は誰が担当して、ラルフさんが読むのか鈴江さんが読むのか、とか、そういうことが書いてあります。
ちょっとおもしろいことがありますが、
カメラマンは「テープ」のことを「原稿」と呼びます。カメラマンにとっては映像が「原稿」なんですね。

投稿者:七尾藍佳

浅草 長國寺

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十一月一日の酉の市、今年は三の酉までありますから
ぜひ商売繁盛を祈願しにいらっしゃってください。
 <二の酉> 2006年11月16日(木) 深夜0時~深夜24時まで
 <三の酉> 2006年11月28日(火) 深夜0時~深夜24時まで
熊手商のみなさまはほんとに下町人情たっぷりで、値段交渉も楽しいですよ。
何より威勢よく三本締めをやっていただけると、なんだか来年は
いい年になる気がしてきます。

投稿者:七尾藍佳

浅草 酉の市

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先日の浅草酉の市での写真です!
一万円の熊手、NEWS ZEROのために八千円にまけていただいて入手、
名物の切山椒を食べました、おいしいようなきがするお餅でした、、、(汗)。

投稿者:七尾藍佳

2006年11月01日

"Ijime"と「いじめられっこ」のちがい。

どうも七尾です。
今日も一日取材、取材先から転戦して別取材、をしていて、早めに帰宅して家でNEWS ZEROを見ていました。いろいろ考えました。それでまた書かずにはいられなくなったのでブログ中。村尾さんの強い「死んじゃいけない」という言葉を聴いて、自分が今いじめられていたら、すごく勇気をもらえたろうとおもいました。
今日のいじめ自殺をした中学生女子のお父さんのインタビューを見ていて涙がこみあげてきました。そのお父さんの言葉のなかで
「いじめた子は、いじめられる立場だったかもしれない、(たまたま)娘はいじめられる側だったけれど。これからいじめを見たらとめるような子に育てていただきたいと、(いじめた子の)保護者に言いました」
というのがありました。これは今日本で大問題になっている「いじめ」の本質を突く言葉だと思います。
茂木さんがちょうど「集団心理」の問題だとおっしゃっていました。私もそうだと思います。何度かこのブログに書いていることと重複しますが、さらにいえばそれはやっぱり日本の教育「システム」の問題だと思えてならないんです。
私も竹内さんと同じく帰国子女です。いろんな国と日本をいったりきたりして育ちました。
小学校の終わりに帰国して、やっぱりいじめれらました。今でこそ、同窓会などで昔の同級生に会うと、とっても楽しく会話するし、何てことはありません。へっちゃらです。でも、もし自分がもっと弱かったら?と思うんです。いじめられる側にもいじめられる理由がある、とよく言います。私に関して言えば、仲間はずれにされたり、無視されたりする理由は絶対あったと思います。行動が他の日本の子供と違ったし、自己主張も強いし。問題なのは、誰かに相談できたかどうか?です。味方はいた。でも彼等だって和を乱すことができないから、助けたくても助けることはできない。
それよりも自分の問題です。私は「恥ずかしい」と思ったから誰にも何も言わなかった。自分が、「いじめられる」対象であることを認めるのが、自分の人間性を損なうような、そんな「恥」の感覚です、今思うと。一生懸命育ててくれた親が、自分の子供が友だちもいないと知ったらどう思うだろうかと。
私の場合、根っからの負けず嫌いと、海外でも行った先でいろんなかたちで大なり小なりいじめや差別を経験したなかで、親から、「誰が何と言おうと、あなたはあなた、そのことにプライドを持っていきなさい」と言われてきたので、それを強く思い、いじめられていても、「これはいじめではない!」と自分で自分に言い聞かせた。そうやってそのうち、「七尾さんは七尾さん」という雰囲気がでてきて、普通にいじめのようなものは無くなっていきました。でも思うんです、もっと弱い人間だったら。そして私は私立だったから先生の目も行き届いていたのか、物理的被害をこうむることはありませんでした。
ところが、公立の小学校に転入した妹は違います。彼女も、ずっとひどいいじめを受けていたようですが、その間は私も、家族も、誰もそのことを知りませんでした。ただその時、小学生なのに痩せたり太ったりを繰り返して、へんだなとは思っていました。ものすごいストレスだったのでしょう。あとから、
「実はあるとき、うわばきが無くなって、親のお金で買ってもらったものだから(妹はこういう感覚がすごく強い)とんでもないことになったと思って何時間も暗くなっても学校中を探し回った。そうしたら、最後に探しに行った焼却炉で、ゴミ箱に自分のうわばきが捨ててあったの。それを見て、『自分自身に被害が及ぶのは、自分ががまんすればいい。でも親にまで被害が及ぶのは黙っていられない』(なんだか律儀な妹ですけど、笑)と思って、仕返しをしなくちゃと思った。それでいじめの親玉の子のロッカーをあけて、なかに墨汁を振りまいた。そうしたら、ホームルームで問題になったけど、私だとは言われなくて、それからいじめは無くなったよ」
と聞き、びっくりしました。
子供って、そういうふうに考えるんだと思います。
だから、絶対、親には、どうしても言えない。
日本で通った小学校にも、中学校にも「スクールカウンセラー」は当時いませんでした。中三の終わりにアメリカにまた引っ越したときには、「スクールカウンセラー」という専門家がいました。
海外で受けたいじめと、日本で受けた「いじめ」は、私は本質的に違っていたように思います。小学校を過ごしたスイスは、一クラス多くて15名くらいが限度。そんななかで、集団でいじめって成立しない。何とかみんなでやっていこうよっていう自助努力が働くもの。でも日本では、広い教室にどーんと机が所狭しと並び、先生の目も届かない。受ける授業もみんな一緒、きっちりと班分けがされて、友達がいないと、勉強すらままならない。でも45人のうちの1人、何百人、何千人のうちの1人だと、ふつうに見過ごされてしまう。大きな「集団」という見えない敵に行く手をはばまれた気持ちになる。
じゃあどうすればいいのか?何が原因なのか?
よく、会社にだって、大学のサークルにだって、「いじめ」のようなものはある、とか、
ある種のいじめというのは成長に必要、というようなことが言われます。でも、そういうたぐいの「人間関係」と今の日本の教育現場で起きている「いじめ」を同列におくことに、私は断固として反対です。
というのも、今問題になっている「いじめ」は、私には教育制度の「ゆがみ」の結果だと思えてならないからです。その意味で、「履修逃れ」による校長先生の自殺と、教師のいじめによる「自殺」といった一連の「いじめ」問題も、私は無関係ではないと思います。人を死に追いやってしまうほどの「ゆがみ」が日本の教育の場に生じてきている、そういうことではないでしょうか?
ZEROの中で、「画一性が問題」という話が出ました。本当にそうだと思います。長い不況を経て、雇用の多様化といえば聞こえはいいけれど正規雇用数が減少し、格差が広がりました。その一方でたしかに生きかたは多様化し、従来のエリートコースからは考えられないところから出た成功者の姿もメディアに登場します。『13歳のハローワーク』がヒットし、自分の才能を活かして活躍している人の姿がクローズアップされる。だけど、そういう生きかたを持ち上げておいて、日本社会はそういう生きかたをできるような教育を施していない。つまり、今持ち上げられている「才能ある人々」というのは、自分の「強さ」(運も含み)できっとどこにいっても、どこの国でも、やっていける人たちなんです。あるいは、恵まれていて、日本の組織によらずしても自立できる教育なり訓練を受けているか。
でも、みんながみんなそんなに強かったり、めぐまれているわけがない。
ある種の子供たちには、早い段階から職業訓練が適しているかもしれない。
また別の子供立たちには、芸術が向いているかもしれない。たくさん書くことがいいかもしれない。計算が得意ならそれを活かしてあげればいい。そんな教育があるなら、今の政府が向かおうとしている
「競争力のある人材」「競争力のある市場」「小さな政府」「地方にできることは地方に」という社会に胸を張って向かっていけばいい。でも、なんのお膳立てもないまま、それこそを梯子をはずしてさぁ競争社会だっていわれても、救命胴衣のないまま荒れ狂う大海に放り出されるようなもの。
きっとすごくたくさんの人が、老若男女日本中で不安を抱えて日々を過ごしてる。
このまま行ったらとんでもないことになるんじゃないか、って。どうなるんだろうって。
今日のニュースには、今の、そしてこれからの日本に警鐘を鳴らしているものがたくさんあったように思います。
繰り返しになりますが、いじめれらた子に「何故言わなかったのか?何故助けを求めなかったのか?」というのは酷なように思えます。自分の経験からも、「言えない」と思うし。だって、死んで行った子たちを助ける「システム」が存在しなかったんですから。「いじめ」を隠蔽しようとするような学校に、そもそもその子を助ける手段があったとは思えません。そして、「その子」は、今日のお父さんが言っていたように、本当は他のどの子でも同じ立場に立たされる可能性があったんです。1人の生徒、1人の先生、1人の校長、1つの学校、そういう問題ではない。だから、「学校」そのものを、国全体として変えていかなくてはいけないのではないでしょうか。

投稿者:七尾藍佳

2006年10月31日

Happy Halloween!

そういえば、もう31日ですね、いちおう、、、
Happy Halloween!

っていうか眠い、、、寝なきゃ、、、。

投稿者:七尾藍佳

茨城県立佐竹高校、校長自殺の取材

こんばんは、というかもう早朝ですのでおはようございますでしょうか、七尾です。
取材から帰社して、帰宅してお風呂に入ってさぁ寝ようかというところなんですが、、、あまりにも今日の取材でふつふつとこみあげてきたものがあるのでブログに書き込んでいます。
今、問題になっている高校の「履修逃れ」。当初から「氷山の一角」という言葉が使われていましたが「この高校も!」「あの高校も!」ということになりました。そしてとうとう尊い命が失われてしまいました。茨城県立佐竹高校における「履修不足」が発覚し、その対応に追われていた渦中の人、高久校長が自
殺しました。私たちZERO取材班がかけつけた根本教頭の会見では、
「自殺と履修不足の因果関係はまだわからないので今の段階では何も言えない」ということでしたが、県教育委員会への報告を明日(日付の上では今日)に控えての自殺ですから、どう考えても履修不足への責任を感じてのこととしか思えないのです。
「心配で、何か説明があるかと思って」と学校に駆けつけていた三年生男子数名に話を聞くことができました。彼等は一様に高久校長が「優しくて、いい先生だった」と言うのです。4月に赴任したばかりながらも、
「自分も野球をやっていたみたいで、野球部の試合にも応援にきてくれたし、挨拶もよくしてくれたし、、、」
「とにかくショック」と生徒さんに言ってもらえる校長先生という方は、人格者だったのでしょう。
その人が命を自ら絶った。これは、とても重く受け止めなくてはいけない事態です。
もちろん、ルールを破ってはいけません。本来履修しなくては高校課程を終えることができない授業を生徒が受けていなかったというのは、これは間違っていることです。でも、ここで、あえていいにくい問いを立てる必要があるような気がするのです。果たして本当にそうだろうか?と。
つまり、その制度の根本はどうなのか?ということです。折りしも今日(日付の上では昨日)、国会では教育基本法改正案をめぐる質疑が行われました。それを聞いていても、どうにも本当に議論されるべきことが議論されていないようなはがゆさを覚えずにはいられませんでした。
これだけ多くの学校が「ないがしろ」にしていた「必修」という制度。その「必修科目」は言ってみれば
「受験」を目指しての「合理化」のために犠牲にされているような節があります。
まだわかりませんが、教育委員会にいたるまで、責任ある立場にいる人々の間で「黙認」されていた向きもあります。つまり、制度が「形骸化」していたのです。「制度」にも「ルール」にも、本来それが制定された「目的」があるはずです。その目的とは何か。
大きな話になりますが、戦後日本を支えてきた「マスプロ」教育がその根幹にあるのではないでしょうか。つまり、一律の教育を受けさせ、その達成度を「センター試験」を初めとした「数字」ではかり、高度経済成長に適した人材を大量に社会に送り込むというもの。
ところが、うるさいほどに言われていることですが、日本の人口構成も、経済も、社会も、すべてがドラスチックにかわってきている。その新しい状況に今の制度がそぐわなくなっている、そのゆがみが今の「履修逃れ」にも、そして今回の校長先生の自殺にも現れてきているような気がしてなりません。
話を聞いた生徒は、「総合クラス」の生徒さんでした。就職をしたり、専門学校にいったり、一部は大学受験をしたりと、より進路の選択肢が多い生徒が在籍するクラスです。履修不足で問題になっているのは、「理系・文系クラス」の二クラス、つまり『大学受験クラス」です。
私は、この選択肢が「二つしかない」ということが、今の日本の教育制度の大きな弊害だと思います。例えばアメリカでは、生徒数何千人という公立高校にも、進学・履修を担当する「カウンセラー」が何十人もいるのが普通です。そのカウンセラーが、生徒ひとりひとりにあった履修・学習カリキュラムを、生徒本人・親・教師と連絡をとり相談しながら決めてゆきます。
つまり、選択肢は生徒の数だけあるのです。大学受験もそうです。日本のようにセンター試験でばっさりと決められることはありません。センター試験に相当する「SAT」という統一試験はあるものの、それは「目安」に過ぎず、「SAT」の点数がそれほど高くなくても、作文でずば抜けた成績を示したり、地域に貢献する活動を行っていればハーバードにだって入ることができるのです。
別にアメリカの教育がすべてだと言っているわけではありませんが、そのように各国と比較して教育の「ありかた」を「具体的」にかつ「抜本的」に論じる必要があると思います。

、、、なんだか長くなってしまい恐縮なんですが、、、現場で「人」に生身で接していると、もともと感受性がかなり強いほうなので怒ったり悲しくなったりいろんな感情が湧いてきちゃって、、、。
そういえば今日はソフトバンクの番号ポータビリティの取材にいきまして、「取材日記」のためにデジカメをいただいたので写真を撮ったりしたのですが、まだどうも使いこなせておらず、ちゃんと画像を保存できていなかったようです、とほほ。これからもう少し写真もいれたりとバラエティーのあるブログ更新を目指したいとおもいます。ではおやすみなさい。

投稿者:七尾藍佳

2006年10月26日

長野県小諸市その2

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ドアごしに話を聞いたお父さんの声は思いの外しっかりとされていましたが、ただそのしっかりとしている感じが逆にどれほど心の中に苦しみを抱えていらっしゃるのかと思い、私も胸が痛くなりました。
夜分遅くに伺って大変申し訳なかったのですが、今の状況を伺いました。
その後、午後7時45分過ぎに容疑者を乗せた車が小諸警察署に到着するところまで取材にあたりました。
一連の取材にあたっていて思ったこと。小学校六年生というのは子どもです。これだけのおおさわぎになったという自覚があったのかなかったのか、ということが問題になったりしますけれど、その判断力がまだ備わっていない年齢なのです。その子どもの安全を守る責任はやはり大人の側にあります。
NEWS ZEROでも「インターネット」そして「掲示板」というところに焦点をあてましたが、総務省が報告している最近の数字でも、インターネットへの接続で携帯経由のアクセス数がパソコン経由のものを上回っている世代が出てきているそうです。
今回は「携帯電話」によるネットへのアクセスかどうかもはっきりとはわかりません。ただ、子どもたちが、パソコンよりも「個人的」な「携帯電話」というツールでネットという情報のカオスに無防備なまま飛び込んでいることは憂慮すべき事態です。
というのも、ある時期まで公立小学校はネット、パソコンの使用に教育の場でとても熱心でした。ところが、個人情報保護法が施行されてからは、学校のウェブサイトや掲示板は危険であるということからぱたっとやめてしまった学校が全国で非常に多いと聞いています。ところが、それと同時にネットという環境において自分の心、そして体の安全を守る対策・心構えを子どもたちに教えることもおろそかになってしまったという指摘もあります。いわば個人情報保護法に対する過剰反応の一種なのかもしれません。でも今回の件でわかったように子どもたちは日常的にネットに、パソコン、ひいては携帯電話専用の掲示板などにアクセスしている。その状況を学校もチェックしていない、そして家族も携帯の通信まではチェックできない、いわばまったく外から見えないというのが現状なのです。
そこで何が起きているのか、、、。
とても憂慮すべき事態です。

何はともあれ、無事で本当によかったです。
少女の心のケアを含め、これから地域・学校ぐるみできちんとした対処が成されることを期待したいです。

投稿者:七尾藍佳

長野県小諸市から帰ってきました。

今日零時過ぎに東京駅に着きました。昨日から、長野県小諸市で少女が行方不明、警察が公開捜査に踏み切るというニュースを受け、取材を続けていました。結果として「ニュースを見た」ということで警察に出頭、無事保護と聴いたときは本当にほっとしました。その一報を受けたのは、一日の取材を終え、未だ少女の行方がわからず、この寒空の下、雨も降っているし、どこかで寒い思いをしていないかどうか非常な不安な気持ちでした。ただあまり動きも無いようだし、ひとまず宿に帰り、お風呂に入るとディレクターから電話がかかり、無事保護されたということで、頭もぬれたまま少女の自宅に向かいました↑

投稿者:七尾藍佳

2006年10月21日

愛煙家の溜息

どうも。今日は日中暖かくてジャケットを着ていると暑いくらいでしたね~。でも日が暮れるとやはり急に寒くなりますねぇ。私は汐留から使っている路線の駅まで銀座の街を散歩がてらに横断してかえっているんですが、ウィンドウで気になるのがトレンチコート。どれもかわいくって、今年は新調しようと思っているんですが、気になるのがどんなものが動きやすいのかなぁってことです。現場ではよく走るので。防水加工のもののほうがいいのかなぁ、とか、どうせなら寒いところにいっても大丈夫なように薄手のダウンのトレンチコートにしようかなぁとか。
丁度日が暮れた頃、今日は銀座と新橋に「ガイロク」に出ました。恐らく「街頭録音」の略かと思います。街の人に聞いた~というときに出てくる皆様の声ですね。
ご存知のとおり、分煙、禁煙の流れのなか、厚生労働省は2010年には公共の場での喫煙を禁じる方向に動いています。喫煙率を具体的に下げていく指針も発表されているなか、日本のタバコ産業は大きく反発しています。そもそも国が率先して「減らす」というのはおかしいのではないか、ということなんですね。経済の主体としてのタバコ企業の立場になって考えてみると、「じゃあどうやって食べていけっていうんじゃ!」ということになります。そこで、今度は逆にタバコ会社側から「喫煙人口を減らすっていうなら値段をあげさせてくれ!」という要求が出てくるわけです。
そんな状況を受けて、喫煙所でまったりとしている方々のところにお邪魔してこんな質問をぶつけてみました:
1.公共の場で吸えない事にしようという動きに関してはどう思われますか?
2.一箱いくらくらいまでだったらタバコをかいつづけます?

1.の質問の答えには男性の多くが
「こまるよ~!」「信じられないですね」。
というのがまず最初の反応。そのあと、「でもしょうがないかな、、、。自分でも体に悪いのはわかってるんだけどさ、かといってストレスもあるし、気分転換に絶対必要だし、、、やめられないし」と
落ち込まれる方が多かった。
そうですよね~、仕事大変ですものね~、と妙に私の父くらいの世代の仕事がえりのおじさまがたと
井戸端会議みたいな状況になってました、、、。

女性はというと、
「しょうがないかなってかんじですね。でもマナーは守るようにしてるし」。
という声が目立ったかな。
でもってみなさん、老若男女「携帯灰皿」をお持ちでした。

2の質問の答えの平均は大体みなさま500円でした。お一人だけ「1000円くらいならなんとか、、、財布と相談しつつ、、、」というかたがいらっしゃいました。

一昔前、それこそ千代田区などで路上喫煙禁止が実施される前、ってほんの数年前ですけど、、、
それこそみんな街は灰皿だとでもいうようにぽいぽい捨ててましたよね。
今考えると信じられないけど。
ですから「マナー」に関しては大分浸透しているし、これは驚くべき進歩なのではないでしょうか。
ちなみに日テレ報道フロアには「喫煙室」なるものがあって、喫煙者は
「喫煙室でいろんな人と情報交換ができる。普段会わない人と話ができて企画が進んだりする」
とよく言っています。そういえば外から眺めるとなんだかまったりとしていて楽しそうです。部長も課長もADもディレクターもみ~んな一緒の部屋だから、偉い人と話すチャンス!もあるみたいです。それってちょっとタバコを吸わない人間からするとややうらやましいかも、、、。「喫煙家」ソサエティみたいな結束力は、世の中の嫌煙の流れのなかでどうやら強まっているようです。
今度潜入してみようかな。でも一人で吸わない人がわざわざいたら皆逆に居心地が悪くなるんだろうか、、、。

以上今日の七尾取材レポートでした♪

投稿者:七尾藍佳

2006年10月19日

待機

どうも七尾です~。
今日は、「出動」がありませんでした。まるで科特隊みたいですけど、、、まぁ似たようなものかもしれません。事件によって、その日のニュースによって出動するかしないか決まります。なので、待機時間が長いときと、まったく休む間もなくひたすら飛び回っている時期と波があります。
リアルタイムの鳥羽さんから「現場から現場に飛ぶことも多いですよ~」と言われました、まだ私にはそんなことは起きていません。ウルトラマンにもおしりを向けられてしまいました。
今日は久しぶりに@汐留待機中の七尾です。
でもいつ何時何が起こるのかわからんのです。
ということで新聞置き場(笑)の影で大人しくしつつ、編集・制作作業がピークのZEROスタッフを激写!
こんなふうなところで日々番組が作られているんですよ~。
200610191848000.jpg
ちなみに鳥羽さんの名前が出てきましたが、現場では各番組レポーターと顔を合わせます。先日ザ・ワイドの宮川さんとお友達になりました♪

投稿者:七尾藍佳

2006年10月18日

福岡から帰ってきました。

はじめまして、Blogが新しくスタートしました、フィールドキャスターをしている七尾です。
福岡で二泊、筑前町三輪中学でのいじめ自殺をめぐる問題を取材して、今日テレに戻ってきました。
早速、悲しいニュースの話からになっちゃうんですが、、、いろいろ考えました。
先週からとにかく取材で日本全国を飛び回っている感があります。月曜日は下田で遊漁船転覆の取材、火曜日は富士小山、水曜日は下関、木、金曜日は境港で一泊、北朝鮮に対する経済制裁の影響を北朝鮮籍の船を中心に取材。月曜日から福岡でした。
いつのまにか水曜日です。
まだまだ筑前町の問題はこれから長い間続いていきますし、なにをもって解決とするかは、一人の人間の命、そして周囲の人の気持ちが関わることですから、難しい問題です。言ってみれば解決はないのかもしれません。
そのなかで感じたこと、というのは、やはり問題が発生したときは、どの組織も、それが会社であれ学校であれ非営利組織であれ国家であれ、その原因究明と事実関係の把握並びに説明が第一に行われるべきことだとういことです。それなしに、事態の収拾をはかるとなると、(もちろん責任ある立場にいると、とにもかくにも事態の収拾につとめなくてはいけないというプレッシャーが働くというのは理解できることですが)しかるべき手順を経ずして、無理矢理終息させようとしているのではという印象を、被害者なり、関係する各方面にえてしてもたれがちです。その意図が責任者にあったかどうかは、これは検証が非常に難しい問題です。ただ、「逃げようとしている」あるいは「責任逃れをしようとしている」という「印象を与える」ということは非常に問題ですし、そう思われたことが事実ならば、たとえ遅きに失したとしても、誠意をもって、挽回するようにつとめるべきです。(下記※参照ください)

一番強く印象に残ったのは、自殺した生徒のお父さんの手記がメディアで発表されていますけれど、
今回の件で、もちろんマスコミもなんとか真相を究明しようということで多数集まっていることには感謝するけれども、近隣の住民の方々にご迷惑をおかけして申し訳ない、と涙ながらに、お父さんが声をつまらせながらおっしゃったことです。

自分の息子が、自殺してしまった、そしてどうやら教師のことばがいじめの発端になった疑いが出てきている、情報もきちんと学校側から伝わらない、、、そんな状況にあるご両親が、マスコミが集まってしまうことで、むしろ悪いのは自分たちではないかと、さらなる罪悪感にさいなまれてしまうのは、これは耐え難くつらいことです。

報道陣が殺到して、伝えるべき情報もまともに伝えられないような状況が生まれてしまうことを
「メディア・スクラム」といい、問題になっています。
なんとか改善していこうという努力も、報道陣同士で話し合い、現場で成されています。

それでも、伝えなくてはいけないことは、絶対にありますよね。
事実はどうだったのか。
問題のある対応があったとすればそれはどこにあったのか。
責任はどうなるのか。
人権は守られているのか。
各方面の意見を伝えること、、、。あげればきりがないのだけれど。

当然のことながら、たくさんの報道陣の姿がただでさえデリケートな状態になっている中学の生徒さんにいらぬプレッシャーを与えてしまうことにも配慮しなくてはいけない。
学校側も、PTAも、非常にそのことを気にしている。

そのことと、今後、同じような問題が起きないようにするためにも、真相究明につとめなくてはいけない、現実を伝えなくてはいけない、という報道の使命とをどうバランスをとりつつ取材していくのか、、、。

答えは出ないんだろうなぁ、、、
と思いつつぐるぐる考えながら、取材をしていました。
といっているまに、どうやらまた取材でどこかにいきそうな気配、、、。(※2)

※1
ここは別の話になりますけれど、企業的な観点からいうと、最近はやりのCompliance(直訳すると法令順守)に上記のことはあてはまるのかもしれませんが、このコンプライアンスとセットになっているのが「危機管理」。私は「危機管理」というのは、千差万別の「危機」をどこか戦略的に乗りこなそうとしているような印象を受けるので、なんだかしっくりきません。むしろAccountability アカウンタビリティ、のほうを民も官も重視していく姿勢が重要な気がします。というのも、ACCOUNTABLEというのは、信頼に足る、ということですから。大事なのは、
「信用」できるかどうか。「信用」さえあれば、どのような危機にも、本当の意味で対処できるのではないでしょうか。ちなみに、英語の表現であるholding someone accountable of --,と言いますと、「誰かのーーに対する、責任を問う」という意味になります。「信用」と「責任」はaccountという言葉においてセットになっているんですね。さらに蛇足ですが、「会計」のことをaccounting、会計士はaccountantです。粉飾会計の問題が最近非常に多いのですが、企業における「会計」とはそもそも「信用」と「責任」そのもの、なんですね。

※2 
ちなみにライス・国務長官が宿泊先に到着する模様の取材でした。
シーファー大使が同行していました。シーファー駐日大使といえば、先日のぶら下がりインタビューのときに、
Japanese people are worried that inspecting North Korean ships might lead to military conflict,
are there any chance of that?
と聞きました。
「日本では、北朝鮮籍の船舶への臨検が軍事衝突につながらないかと懸念する声が上がっています。その可能性はいかほどですか?」大体こういう意味になりますが、その質問への大使の答えが
「我々(アメリカ合衆国)は、いかなる軍事衝突も望んでいません」という言葉から始まりました。
これまで世界で最も北朝鮮の現体制に強硬なリーダーであるブッシュ大統領の「特命全権」大使であるシーファー大使のこの言葉に、私はすこし驚きを覚えました。ただ18日のライス国務長官の一連の発言を見ていますと、今何よりもアメリカが重要だとしているのは、極東における「核の連鎖」阻止のためにも日本に対して「アメリカの核の抑止」を強く保障すること、であることは明らかなので、今振り返ると刻一刻と変化しつつある情勢の中で、アメリカ政府の姿勢におきている変化の兆しだったのかもしれません。

投稿者:七尾藍佳

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