2010年04月08日
NAKATA×ZEROの、スペシャル・プロジェクト。
中田英寿さんの「旅」をZEROが独占取材。
2008年、定期的にシリーズで放送しました。
ワールドカップ直後の突然の引退のあと、中田さんは長い旅に出ました。
どこを旅し、なぜ旅をするのか。その旅は謎に包まれていました。
私たちは、その旅に同行することができました。
また、このページでは、中田さんの旅に同行しているディレクターの旅日記もあわせて掲載します。
中田英寿は雪の降りしきる、高知県にいた。

“最後の清流”と呼ばれる美しい四万十川が流れ、県の84%を森林に囲まれる高知県。
しかし、この豊かな自然環境にも変化が起きているという。
漁師「海苔だけじゃなくて、鮎もうなぎも…」
不漁が続く四万十川…。
その原因は、どこにあるのか?
中田は、自然環境を専門に学ぶ高校があると聞き、向かった。
県立四万十高校。

この高校には日本でも珍しい「自然環境コース」が設けられている。
校長「ここの立地だと思いますね。川があって森があって。
四万十川という川が流れていて。その下流に海があって。
森と川と海と三つ繋がってますから、その三つについて学習させようと」
中田「どういう勉強をしているのかなぁっていうのが、
すごい興味があって」
中田は彼らの授業に同行させてもらう事にした。
この日は、珍しい大雪の中、校舎のすぐ横を流れる四万十川で
水の透明度や、生息する水生生物の調査が行われていた。

先生「今、川の透明度を計っていますが良かったら入って行かれても」
中田「気温は氷点下ですか…」
先生「気温は。はい」
中田、川へ。

生徒「あっ、おったおった。」
中田「珍しいの(生物が)見つかったんですか?」
生徒「はい。虫たちに得点をつけていて、それでいうと9点!」

生徒「かなりの高得点」

中田「ダンゴムシみたい」
生徒たちはこうした調査を続けることで、
四万十川の水の状態を記録してきた。
最後の清流と呼ばれる四万十川にも、水質の変化があるという。

それが影響しているのだろうか、川では不漁が続いている。
四万十川の鮎やアオノリの収穫量は、
20年前に比べ4分の1に減った。

漁師の小野隆利さん「このままいけばたぶん、何もいない川になってくるかもしれんね」
魚が穫れなくなった原因、その一つに「山」が関係しているのではないか…。
中田の訪ねた四万十高校では、山の調査も行っている。

生徒「この木が何か分かりますか?
中田「杉の木!」
生徒「そうです、杉です。
ここは間伐をしていて、すごい手入れされている場所です」
かつて林業が盛んだった高知県。人工林は森全体の65%にのぼる。
人工林の中から太くて良い木を残していくため
余分な木を切って間引く、「間伐」という作業を行う。
しかし、林業が衰退して「間伐」が行われなくなると、木が密集したままとなる。
すると、地面に日が差さなくなり、下草が育たなくなる。

地面はむき出しになり、雨が降ると、雨水が土砂とともに一気に川まで流れ出てしまうのだ。
生徒「(土が)いい状態のときはフワフワしていて
踏んでみると柔らかいことが大きな特徴です」
この状態の土は 雨が降ったときに水がしみこみやすくて
保水力がいいと言えます。
保水力が良ければどうなると思いますか?」

生徒「そう。雨がすごく染み込みやすくて水をきれいにしてくれます。
その水がそのまま四万十川まで流れていきます」
高知県の人工林のうち、75%が「間伐」を必要としている。
だが、林業の衰退もあり、あまり進んでいないのが現状だ。
四万十高校の生徒たちは、筑波大学と共同で研究を行ってる。
調査を統括する恩田教授は、
「山から流れ出た水と土砂が、川の生物にも影響を及ぼす原因のひとつ」と考えている。
「間伐」という一般には聞き慣れない言葉。
中田はその現場を見てみようと足を運んだ。

森林再生を進める水谷伸吉さんに聞いた。
中田「一つの現場でも、また間伐をやらないと
どんどん生えてきてしまうという事ですか?」
水谷さん「そうです。一回やった場所は大体10年後とか、
定期的に循環していかなくちゃいけないので。
意外とその日本の国土の7割近くが森に覆われていて
そのうちの半分近くは人工林だということは良く知られていません」

四万十高校の生徒たちにとっては、森も川も身近なテーマ。
教室では、3年生が卒業研究の発表をしていた。

竹内貴大君は、四万十川の幸、テナガエビの数が年々減ってきている、
その理由を研究してきた。
竹内君「やっぱり山からの(水の)供給が少なくなったことで、
海水が上にのぼりやすくなってきたという原因が
考えられます」

中田は、地元の自然環境と真剣に向き合う生徒達の姿を知った。
授業の終わり、飛び入りゲストの中田に、生徒の前で話す機会が設けられた。

中田は、旅を続ける理由を生徒たちに語った。
中田「やっぱり自分の何かを決めるときとか、判断する材料っていうのは
自分の経験でしかないわけであって、
一つの問題に対して答えは一つじゃないですし、
まあそれが、いろんな角度で見られるっていうのは自分の中で
いろいろやっていく中では非常に大きいものなので。
だからずーっと旅をしているんですけど。
この先も続くと思いますし」
経験を増やしていくことで、物事を様々な角度から見られるようにしていきたい。
それが、中田が旅を続ける理由。
生徒「この木は何の種類か分かりますか?」
中田「杉!…いやヒノキ!」

人との出会いを重ね、中田の旅は、続く。

2009年11月25日
ナカタ、日本の農業を考える。
ニッポンの旅。中田の関心は農業に向いていた。
引退以来、世界の旅は3年にわたった。
その中で中田は世界各地で日本食が愛されていることに驚いた。

しかし、自分は日本の食というものをよく知らない。
それが日本の農業に関心を持つきっかけだった。
ことし日本を旅し始めた中田は、農家を積極的におとずれている。

「かぼちゃ、あげる」
その中で熱心に有機農業に取り組む多くの人々と出会った。
有機農業は、化学肥料や農薬を使用しないことを基本とする。

中田は、こう感じていた。

農薬を使わなければ、雑草や害虫との闘いになる。
その手間をかけただけの意味があるのか?

中田は宮崎県・綾町をたずねることにした。
ここは、町を挙げて有機農業に取り組んでいる全国でも珍しい自治体だ。
中田は農家を訪ね、実際の作業の手間について
聞いてみることにした。

3日に一度、水でアブラムシを洗い流すという。
堀さん夫婦は10年前、サラリーマンを辞め、綾町に戻って有機農業をはじめた。
堀さん「今はやっと、食べられるようになったところです」
10年かかって、やっと農業収入で生活できるようになってきたという。
同じく有機農業をはじめて10年の油田さん。

油田さん「正しいことをやっているっていう誇りがあるので、いい仕事ですね。」
しかし、10年たった今でも、なかなか収入が安定しないと言う。
そのため夜に塾講師などのアルバイトをして生計の足しにしてきた。
油田さん「単価が今の1.5倍くらいになれば農業だけでなんとか生活できるんですけど」

有機農業は、手間がかかる上に、安定して多くの収穫を得ることも難しい。
そこで中田は、有機農業を軌道に乗せることができた、という人を訪れた。

松井さん「ここにきてやっとですけど。
ただ、食べてもらえば味で勝てるけど、実際は最初は見た目で判断されてしまいます」
レストランなどに直接販売すれば、形ではなく味で勝負できる。
販売ルートを持つことが、重要だと松井さんは話した。
農業に関心を持つ中田に、町長からこんな質問が。


中田「日本の食っていうのはやはりおいしいですよね」
「自分に何ができるとかではないけど、ちょっと勉強してみようかなと」

町をあげて有機農業に取り組む綾町。
町独自の認定制度までつくって、
「綾町ブランド」の確立を目指しているのだ。
しかし、農家の人々にとって悩みは少なくない。
本当は一般の農作物より高く売らなくては採算がとれないのだが
実際には、それではなかなか売れないというのだ。

農家の人々が懸命に努力している姿を見た中田は、
この価格の問題について、率直に切り出した。

高く売るのは難しいという町長。
中田「そこまで努力しているのに伝わらないのはもったいないなぁと・・・」
綾町の人々は「美味しくて安全」な農作物のため、
誇りを持って有機農業に取り組んでいた。

どうしたら、価値に見合った価格で売ることができるのか。
旅の中で、その答えを見つけていきたいと中田も感じ始めていた。
松井さんの畑には、後継者である息子、晃一さんの姿があった。

しかし、やりがいを感じている。
晃一さん「笑顔でおいしいねっていう言葉をもらうといいなぁって」
ニッポンの農業に関心をむけた中田。
中田のニッポンの旅はつづく。

※「ナカタ、日本を旅する」のテレビ未公開動画は、
nakata.net 中田英寿オフィシャルホームページでご覧になれます。
2009年09月22日
最南端からのスタート。ナカタ、沖縄で豚と・・・
中田さんは現役引退の後、
世界中を旅してきました。
ところが、ことし突然
「日本を旅する」と周囲に宣言しました。
世界を旅する中で、
自分が「いかに日本を知らないか」
痛感したからだと言います。
この旅で中田さんは、
農業の現場や、日本ならではの「伝統の技」を
見たいと考えています。
そこに「日本のよさ」があるのでは、
と感じているからです。
あらたな旅が始まりました。
中田さんにどんな変化があったのか。
ZEROはその旅に同行していきます。
新シリーズ・スタート、第一弾です。
まず最初に中田さんが向かったのは・・・。
2009年06月05日
ナカタ、アフリカへ。蚊帳を届ける旅
現役引退の後、中田さんは
世界を旅しながら
「自分にできることは何か」と
考え続けてきました。
旅のあと、中田さんは
ある決心をしました。
「マラリアに苦しむアフリカに
蚊帳をおくる」。
中田さんは、
3万6千張りの蚊帳を届けるため
アフリカの中部、
コンゴ民主共和国を訪れました。
まさか人生で二度もコンゴへ行けるとは思っていませんでした…。
そして、こんなに早くまたヒデさんと旅が出来るとも…。
ご無沙汰しております。
この場所には一年ぶりにお邪魔します。
またもうあ旅に同行させてもらいました牧です。
改めて、宜しくお願いします。
さて昨年のエコ特番「僕が見た、この地球。」からあーっという間の一年。
ヒデさんは、TAKE ACTON Foundationを設立し、
LIFE AFTER FOOTBALLプロジェクトもスタートさせました。
相変わらずストイックに動き続けるヒデさん。
そして先日、活動の1つであるコンゴへ蚊帳を配布する旅へと
同行させて頂きました。
その様子は先日番組で放送済みですが、この度HPにも動画がアップされるようなので是非ご覧下さい!
久々のヒデさんとの海外旅。
ながーい移動の道中、「やはり日本にいるのとは違います?」と聞くと、
「いやー、やっぱり海外はピリピリ感があっていいよね!」とおっしゃっておりました。
旅では、UNOに励み(ここでも負けず嫌いの中田氏に気迫負け、大惨敗。)
そして、難民キャンプでは改めて自分にできることはなんだろうと
考えさせられました。
しかし蚊帳の配布に立ち会えたことは感慨深かったですね。
一年前に知った蚊帳の存在。それが、こうして配布できるようになり
目の前で嬉しそうに蚊帳を抱えて持って行く人々を見る事が出来たのですから。
ヒデさんと散歩をしながら見に行った蚊帳の配布先である病院には、
人々が溢れんばかりに集まっていました。
そして、誰もヒデさんを見向きもしない(笑)
蚊帳を受け取る人々を見て、ヒデさんがニヤニヤと嬉しそうに笑っていたのを
私は見逃しませんでしたよ。
まるで足長おじさんです。
そんなヒデさんを見て、私はなんだか1つの旅の区切りを感じたのです。
きっともう少し前に、その区切りははっきりとあったのでしょうが…
プロサッカー選手を引退してからの二年間。
本人曰く、『自分探しの旅=自分に出来ることをさがす旅』に出たヒデさん。
運良く旅の一部に同行させてもらった私には、
様々なことを貪欲に知ろうとするヒデさんの姿が、
『ポッカリと空いた喪失を埋める何かを探す旅』にも感じられました。
どことなくモヤモヤしたものがあるなぁというか、
例えば高校時代に入っていた部活を引退して空っぽになった感じとでもいうんですかね?
何かやりつくして、ぽっかり空いてしまうような感じともいうんでしょうか。
(うまく表現できなくて申し訳ない。)
しかし、あれから一年経った今回のコンゴへの旅は違いました。
「いま自分に何ができるか??」自分が動くことによって、周りが動いてくれる。
状況、情報、事実を人に伝えることができる伝達役になれる。
だからこそ、自分はいつも動いているのが大事。」
そう語ったヒデさんに、前に書いたような喪失感は感じられませんでした。
「できること」をはじめたヒデさんがそこにはいたのです。
新たな中田英寿の旅。
それは、『自分のできることを実行していく旅』。
これからどんな旅が待っているのか?
ヒデさんの言う「伝える」ことに私も微力ながら役立てるなら、
こんなに嬉しいことはありません。
メディアを通じて伝えられることは限られています。
きっともどかしいことも多いでしょう。
それでも「伝える」ことを決意したヒデさん。
あれだけメディアとのやりとりにセンシティブだった人間が、
このことを決意したことは、とても大きなことだなと
私は今回の旅で感じたのでした。
牧有太
2008年10月17日
執行役員ナカタ 菓子開発の舞台裏
東ハトのビスケット30周年の企画会議。
そこには、執行役員である
中田英寿の姿があった。

中田「シャレで、30周年だし、(ビスケット)3重にしちゃえばいいのにねえ」
東ハト「メガ(○ック)みたいに?」
東ハト「食べにくくなっちゃうね」

大の“お菓子好き”という中田。
これまで、数々のお菓子をプロデュースしている。
味はもちろん、キャラクターや広告戦略まで
徹底的にこだわるのが“中田スタイル”。
商品の開発には
試食と会議を何度も重ねる。
「味もうちょっと濃い方が好きかな」
「(前回のものと)これと
どう違うのかな?」

「従来より固くなっているのは
チーズを入れているから?」
ZEROは地球を旅する中田を追ってきた。
その旅の途中にも、試作品が南アフリカの奥地にまで届いた。
「ここまでバターを強くするんだったら、
チーズ味でもいいんじゃないかな」

味に納得がいかない中田は、
帰国後ある提案をした。
「よくイタリアとかで
チーズのパンとかあるじゃないですか、
あれと同じ感覚で」
「大人の方がむしろ好き
なんじゃないかな、
酒(ワイン)のつまみになるし」
“大人のチーズ味”
イタリア生活が長い
中田ならではの発想だ。
そしてようやくビスケットが完成。
お菓子の開発にも独自の“こだわり”を見せた中田。
今後の活動が注目される。

2008年08月05日
2008年8月5日
カッコイイ!
なんといってもこれが大事なんです、だから、
その①:人を惹きつける、見た目の“かっこよさ”
それに加えて、
その②:プライベートに秘められた“何かがある気配”
その③:圧倒的に頭の“キレ”がいい
その④:文字通り、“世界をまたにかける”
その⑤:時に完璧主義者といわれるまでの、“ストイックさ”
この5つが、共通点、似ているなぁと思ったんです。
「アルマーニと、カラヤンと、中田」。

イタリア出身の世界的なファッション・デザイナー、ジョルジオ・アルマーニ。

20世紀のクラシック界の巨匠(マエストロ)とよばれ、1989年に亡くなった
偉大なる指揮者カラヤン。(オーストリア出身)

中田を追ったドキュメンタリー特番の放送が完了しました。
ひとつの番組の大詰めの時って、(私の場合、)
朝から晩まで編集室に篭ったり、徹夜になったり
まともにニュースも見ずに、世の中から隔絶して編集作業に追われてしまいます。
だから、番組が終わって、久しぶりにゆっくりとした時間ができると、
溜めておいた新聞を読み漁り、
録画しておいたテレビを見まくり、
行きたかった美術館に行き、音楽を聴き、
遅ればせながら、いろんな世の中の出来事に自分をリンクさせていきます、
そんな時、ふと、この3人が、重なってみえたんです。アルマーニと、カラヤンと、中田。
もちろん、世代は違います。一人は亡くなっているし。
でも、3人とも、
「カッコイイ、何かがありそう、キレ者、世界をまたにかけている、ストイック(に見える)」
なんとなく、似ている感じがしませんか?
そこで思い出したのが、番組の取材中でのこと。
オレンジ色に美しく輝くナミブ砂漠のてっぺんで、
中田と向かい合って、あれやこれやとインタビューしていた私たち取材班。
質問に応える中田の顔を、1時間くらい見ていたら、
ふと、ある思いが湧きあがってきました、
「この人って、一体どんなお爺さんになるんだろ?」
私は、そのまま訊きました
「中田さん、どんなお爺ちゃんになると思いますか?」
中田は即座にこう応えました、
「そんなの考えない。
・・・普段、自分で“あー、私はどんなお婆ちゃんになるんだろうなぁ”って考える?
そんなこと考えないでしょ?」
私「なら、これを機に、ちょっと思いをめぐらしてみるのも考えてみるもの、
楽しいもんじゃないですかね?」
中田「そんなの考えたって、意味が無い。
意味が無いことは、考えない。」
「・・・・・。」
アルマーニも、カラヤンも、
若い頃には自分がどんな70歳になるかなんて、考えなかったかもしれません。
でも、颯爽としていて、歳のことなんて微塵も感じさせないジョルジオ・アルマーニは、
聞いてびっくり、今年74歳だそうです。
そして、60歳代で、人生の転機を迎えたと話していました。
20世紀を代表すると絶賛された、
ちょっとナルシスティックな、天才指揮者カラヤンだって、
自家用ジェットを操縦し、
スピード狂かとおもうくらいスポーツカーをびゅんびゅん乗り回し、
やんちゃし続けていましたが、
最終的には、80歳代を迎えたわけです。
ふたりとも、いわずもがな、とても素敵です。
そして、おそろしくカッコイイ。
中田英寿は、どんな風に歳を重ねてゆくのか?
たのしみ、たのしみ・・・。うひひ。
これから先、どんどんいい顔になってゆく中田の姿を見たい、と願う人間の一人です。
小堺有希子
2008年06月20日
2008年6月20日
無事、放送が終了しました。
力が抜けたのか、ポケーッとしています。
同行日記も更新できず、すいませんでした。
ずーっと、ヒデさんの旅の映像を見ていました。
100時間以上に及ぶ映像。(一体どれくらいあるのだろう…。)
引退したばかりで短髪の姿がありました。
ただ何時間も街を歩く姿がありました。
裸足で砂漠を歩く姿がありました。
子どもたちとサッカーボールを蹴る姿がありました。
そして、何かを考えているような姿がありました。
もちろん、全ての旅にカメラはついて行っていません。
二年間のほとんどをヒデさんは、一人旅していました。
私が、ヒデさんの旅にはじめて同行したのは昨年の11月14日。
この時点では、同行取材の終着点は決まっていませんでした。
その日の自分のメモ書きには、
「背中を追いかけるだけで精一杯。 駆け抜けていく中田。」
と一言書いてありました。
中田英寿とは、どういう人なのか?
正直、はじめは怖かった。
自分自身の大切な時間に、急にカメラを持った他者が入ってくるのですから
ヒデさんにとっても、やりにくかっただろうと思います。
お互いが探り合いながらの撮影でした。
「撮りたい」僕たちと、「撮らせたい」けれど、
自分自身の譲れない部分があるヒデさん。
その境界線は、とてもデリケートなもので、時にその線を超えてしまう
私たちをヒデさんは注意しました。
あくまでも、僕たちは同行させてもらっている立場。
けれど、ヒデさんの旅はいつも「何か」起きるのです。
だからどうしてもカメラを回したくなる。
ヒデさんはきっと、「当然だよ。」と言うでしょうけれど(笑)
二年にも及ぶ旅の中で、ヒデさんは何を想っていたのでしょうか?
本人ではない僕には分かりません。
ただ、僕が初めて同行したブータンで子どもたちとサッカーをする中田英寿は
そりゃあ、楽しそうに笑っていました。
たぶん、ブータンの田舎で出会った子どもたちは、中田英寿を知りません。
見ている限り、「サッカー」も知らないようでした。
ボールをゴールに入れるということも知らない。
それでも、1つのボールを蹴るという行為だけで
初めて出会った人同士が大笑いできるのです。
その光景を見て、奇跡だと思ったんです、僕は。
ヒデさんだから見る事ができるものがある。
「ブータンの奇跡」(なんか大げさですが)を見た時点で、腹をくくったのです。
ヒデさんが見たものを、映像として多くの人に見てもらいたい。
こんなに、笑ったり、怒ったり、悩んだり、
感情が揺れた半年間は初めての体験です。
ヒデさんの旅を通して見える、世界。
ヒデさんが見た、地球の姿。
たくさんの方々の協力を得て、番組は完成しました。
入りきらなかった映像はたくさんあります。
中田英寿という人物を、知るにはまだまだ遠いものです。
それでも、僕はこの番組をやって良かった。
最後になりましたが、ご覧いただいた皆様本当にありがとうございました。
この番組が何かを押し付けることはありません。
見ていただいた皆さんがそれぞれに思う事が、少しでもあるならば幸いです。
そして、ヒデさん。ありがとうございました。
もう、どこかの国を歩いているのでしょうか?
いつかまた、僕は中田英寿の背中を追いかけてみたい。
牧有太
2008年06月11日
中田発案のガラパーティー
黒のタキシードに蝶ネクタイできめた中田。

中田「こういうエレガントなガラパーティーは
欧米ではありがちなものですけども」
中田が発案し、ルイ・ヴィトンが主催したチャリティーガラ
「LOUIS VUITTON CHARITY GALA
FOR TAKE ACTION 2008!」
が行われ、著名人やサッカー選手が招待された。

今回特別にZEROだけが
会場内の撮影を許された。
チャリティー・ガラとは、
パーティーで集めたお金を、支援金に回すというもの。
日本ではあまりなじみがないが、
欧米などでは数多く開かれている。
中田は旅で、
環境問題や貧困などを見る一方、
先進国の華やかな生活も見てきた。
マドンナのチャリティー・ガラなどに参加、
楽しみながらチャリティーをするという方法を知り、
日本でのガラ開催を発案した。

今回のメインイベントはオークション。
商品は、中田と試合をする権利や上田桃子とゴルフをする権利など。

「中田英寿フレンズチームと試合をする権利」
「500万!」
「800万!」
なんと800万円で落札。
集まったお金はおよそ3000万円。
中田は、これをあることに使いたかった。
それはアフリカ・タンザニアで見たマラリア。
毎年100万人以上が亡くなり、
その大多数が5歳以下の子どもたち。
マラリアの対策は、蚊にさされないことしかない。
最近は薬品を塗り込んだ蚊帳が開発されている。

しかし、貧困に悩む現地の人々は
その蚊帳を買えなかった。
中田は、ガラで集めたお金で
薬品つきの蚊帳を買い、
現地の人々に配ろうと考えたのだ。

中田の試みに賛同した参加者たち。
エムボマ
「中田は自らのオーラ、価値、
心を人々を助けるために
最大限に使っています。」
イルハン
「それぞれの人が
一体何が出来るかを
考えさせてくれます。」
カズ
「色んな環境の問題とか、
そういうものに取り組んで
いくっていうのは、
本当にヒデらしいし」
「ヒデのスタイルで
やるのが一番じゃないかなと」
中田にガラへの思いを聞いた。
中田
「パーティーやって
何やってんだって
思うかもしれないですけど。」
「何か施しをするとか
何か助けてあげるという
目線じゃなくて」
「楽しむっていう事が前提にあって、
その上で、
更にそれをいい事に
つなげるっていう」
「まぁ出来れば日本で続けていけたら
いいかなとは思ってます。」
2008年06月03日
中田、地球を旅する。「中田英寿×村尾信尚 対談」
村:はじめまして、NEWS ZEROの村尾です。
中:中田です。
村:よろしくお願いします。
中:よろしくお願いします。「○子の部屋」みたいですね(笑)
突然の引退の後、中田は、地球を旅し続けている。
ZEROはこれまで、4回にわたり、
謎に包まれた旅を追ってきた。
村尾がついに中田と直接対談。旅の真相に迫る。
村:まず、サッカーの現役を退かれて、2年間、世界を見る旅に出かけられた。
村:この2年間でほぼ(世界を)見終わったという感じがしているのか、
いやいやまだまだという感じなのか、どうなんでしょうか?
中:さきほど、2年間を1区切りのような形で言われてましたけど、
僕にとってはまだ、過程、はじまりぐらいでもいいと思っているので

中田が旅で、最後に訪れたのは、アフリカ大陸。
一か月以上滞在し、水不足に悩む村など、様々な環境問題を見た。
今行われている、アフリカ開発会議でも
環境問題は大きな議題。
中田はアフリカで、何を感じたのか。
中:彼らにとってはきれいな、透明な水というのはなかなか得られないものだったりして、これが
井戸だって見せられたものが、ただの10メートルぐらい堀っただけのもので、
そこに少し水が溜まっているんですよ。まったくきれいなものではないですし、僕にとってはただ
雨が降って残った雨水か泥水かっていう。ただ彼らは実際昔は、それを使って、
もちろん飲んで、動物に与えてという生活をしてて、今そこにはきれいな井戸ができたんですけど。
それは現実の違いを見せられたというのは感じましたね
中:やはり環境問題といっても、緑という意味の環境問題だけではないと思うんですね
色んな他の問題 と密接につながっていて。勉強していたことが実際そこに行くと、
あてはまらないことが非常にあって。
もちろん便利な方がいいけども、でもじゃあすぐじゃあ彼らの生活に例えば、井戸を掘るとか、
それをやってあげたら一番喜ぶのかって、もしかしたら望むことは違うことかもしれないですし
村:そうなんですよね。今おっしゃられた、違う場所へ行って、私たちが見て、
えっこれおかしいじゃないって思うんだけど、それは僕らの価値観で見てるので、
それは実際のそこで暮らしている人たちにとっては普通のこと。
考えれば考え、経験すれば経験するほど、答えが出なくなってしまったところがあって。
環境や貧困など、いくつもの問題が複雑に絡み合う地球。
“自分が出来ることは何か?”

「ナカタマリ!」
「チャオ!ナカ~タ!」

初めて訪れた国々、しかし多くの人が中田を知っていた。
そこで中田が感じたのは、自分が今まで続けてきたサッカーの力だった。
村:サッカーは、中田さんはまず何に虜になったんですか
中:う~ん多分あの時期一番大きな影響力は「キャプテン翼」だと思いますけど(笑)

中:やっぱりあの漫画を読み始めて、これはちょっとやってみようと、遊びでやり始めて、
これはおもしろいかなって
村:サッカーをされている中田さんが、どこへ行ってもナカタ!ナカタ!って呼ばれるじゃないですか
中:そうですね(笑)なんでこんなところでも知ってるんだろうなと思うぐらい、みんなが知っていて。
僕の知名度というよりも、サッカーがそれだけグローバルに
世界中に行き渡っているんだなというのを
本当に痛切に感じましたね

中:ルワンダに行ったときに、94年に内戦があって、ツチ族とフツ族の問題があったりしたときに、
その話をそれぞれの部族の人に聞いてみようかと思って、話をしたんですけど、
やっぱり悲しそうな顔をして。あまり答えられない状況で、なんか悪いことしたなと思って。
「いいや、一緒にサッカーやろう」と言ったら、もう全然、フツ族もツチ族も関係なく、
みんな楽しく一緒にサッカーやるし。
一緒にプレーすることによって、それだけで輪が広がっていくのが、
サッカーの大きさだというのが今回、痛感したんですよね

だから一時は本当にサッカー、プロを辞めたときには、ちょっと距離を置いて、
次にどうしようかなと思ったんですけど。今回色々経験して、
やっぱりこれはもう少しやるべきだなというところに戻ってきた。
サッカーのすごいところというのは、それをやることによって人の命が救えるとかじゃなくて、
みんなが見てる。それだけ世界中の目が集まる。多くの街でも、
村でも人の目が集まるというのがサッカーだと思うので。
じゃあそれだけ目が集まるもので、何かをみんなに伝えていければおもしろいんじゃないかなと

中田は、地球をまわり、
プラスワン・フットボールマッチを開催することにした。
サッカーのスター選手を集め、試合を開き、
見に来た人に、地球の問題を考えてもらう試みだ。

村:フットボールマッチの前に書いてある、プラスワン、これがどうもキーワードだと思うんですが?
中:サッカーはもちろんおもしろい試合じゃなきゃ見ないんですよね、
みなさん。おもしろい試合をやり、みんなの注目を集めて、
楽しんでもらって、なおかつその中に少しだけ
そういう伝えたいことを入れておく

今回は、まずこういう色んな問題があって密接に関わっているから、
「これをひとつやってくれ」じゃなくて、「何でもいいですからひとつだけいいことやっていこう」と
貧困のために何か寄付しましたでも、
環境のために何かしましたでも、なんでもいいと思うんですよ。
それか隣に座っている人に対して何かひとつやって、笑顔が生まれただけでもいいと思う。
そうするとみんな何かしらいい方向に向かうと思うんですよね
村:聞いていて、中田さんらしいやり方ですよね。上から、僕もそうなんですけど、
「これやれ」って言われると反発したくなるじゃないですか。
中:なりますね(笑)
村:特に今の若い人はそうだし。そこに何かきっかけだけは、ちょっと与えてあげて、
あとは「考えてみたら」と。きっかけをスマートな形で演出しなければいけない。
それが中田さんにしてみると6月7日のサッカーということになるんですかね
中:そうですね。
サッカー、プラス「なにかできること、ひとつ。」
この大きなテーマを抱え、中田は、フィールドに戻ってきた。

村:中田さんご自身は?
中:いや~今必死にトレーニングしてますよもう
村:コーヒー色に焼けていて、これも練習の成果が出ているのかなと思いましたけど
中:いや~やっぱり2年間休んで始めるとさすがにちょっときついですね。
だけどもやっぱり自分もそこに出て、いい活躍をして、楽しみたいし、
来てくれる人たちに対して、見せたいし。そうじゃないとゲームが楽しくならないと思うんですね。
そして中田は、試合への、ある“こだわり”を語り出した。
試合にこめられた、中田の“こだわり”とは。
中:今回チャリティーという言葉はまったく使ってないですし

僕は今回楽しいイベントとしてやって。でも実は裏にはそういう仕掛けを
うまく自分たちがつくって、流れをつくっておけば楽しんでいるうちにひきこまれてしまったという。
まあ騙すわけじゃないですけど。そういうシステムをうまく作れれば、
ほんとうに将来的にもっと長く続いていくんじゃないかなと
村:マイクロソフトのビルゲイツ会長と対談したんですが。
ビルゲイツさんと言っていることすごい似てるなと思ったんです。
お金を儲けることによって、貧しい人たちも救えるような、
そういう新しい資本主義を考えていこう。
お金を儲けたいというそういう心を認めた上で、みんなで社会のためにという。
ものすごく共通間を…
中:そうですね、僕も今言われたことは同感で何かを持続的にするためには、
それが自分の生活にそっていなければならないということは、
必ずしもそれが、ある種ビジネスにならなければ続けられないお金をかせぐということではなくて、
最終的な目標というのはみんなが笑顔でいられる。楽しめるというのは、
やっぱり厳しい環境の人たちを救うとか、
そういうところできちんとずーっと続けられる形をつくるというのが必要だと思うんです

村:6月のサッカーの試合があって、その1か月後には日本で洞爺湖でサミットがありますよね。
村:このサミットに合わせてまたプロジェクトを考えているということで

中:まあプロジェクトというほどのことじゃないですけども。
サミットが7月7日、七夕に始まるということもあって、
たんざくというものを使って何かできないかと。
中田は、インターネット上で、「たんざく」に
「なにかできること、ひとつ。」を
書いてもらうという、もうひとつの計画も進めている。
中:まずたんざくを書いて、みんなでこれをやるというのを。
それぞれ見れるシステムもあるので
そうするとさらに、より次のステップへ進みやすい、実現しやすい
村:(サミットに)参加する各国の首脳にも書いて欲しいですよね?
中:そうなるといいんですけど、まあ
村:ブッシュさんとか、サルコジさんとか…
中:裏からプッシュします(笑)

村:私も1年半報道で伝えてきたときに、民意を誘導していくフロントランナーが僕は
世の中を変えていくんじゃないかと。その中で、
僕は中田さんを見るんですよ。ちょっと持ち上げすぎかもしれませんが(笑)
中:ほんとに(笑)

村:そういう人がこれからどういう形で世の中を変えていくというのは、
非常に僕も興味がありますから、
是非こういう形でお話させていただければありがたいと思います。
きょうはどうもありがとうございました。
中:ありがとうございました。
2008年05月08日
中田、地球を旅する。「アフリカ・マリ編」
中田英寿は、丸い地球を駆けめぐった。

新しい出会いと発見が、待っていた。

ヒンバ族 「モロ(こんにちは)、ナカタ、モロモロ」
大地と共に生きる人々。
誰とでも友だちになれた。

マイナス30度の世界。
大自然の厳しさと強さを知った。
豊かな太陽の恵み。
至福の時を味わった。

しかし!

光とともに、陰を見た。
戦禍と貧困。

想像以上の現実に、圧倒された。

モアイ像で知られる、イースター島。
かつて緑豊かだった島から、木が消えた歴史を知った。

そして・・・。
中田「イベントをやろうと思っているんだ。テーマは、環境。」

学者「そうなのかい。イースター島のテーマも環境だよ。」
中田「そう、だからあなたと話したいと思ったんです。」
遠い国の出来事が身近な問題になった。

「今の自分に、何が出来るか?」

中田は、旅の中で気づいたことを日本に持ち帰り
ひとつのプロジェクトを立ち上げた。
「只今より、テイクアクション2008記者発表会を
開催させて頂きます。」

中田「フットボールだったら、サッカーだったら、
本当にいろんな人が同時にコミュニケーションがとれて、
いろんな事が伝えていけるかなと思ったので、そういうことを
思ったので、まー、今回、試合をやろうと…。」

地球の様々な問題に、気づいてほしい。
サッカーに託せば、その想いが伝わるのではないか。
中田自らが、大規模な試合を主催すると、発表したのだ。

そう言えば旅の随所で、中田は、
今回のプロジェクトを念頭に置いた動きをみせていた。
ブラジルでは、ジーコの主催するチャリティーマッチに参加。

試合を主催するという方法論と、
その集客力の大きさを、目の当たりにした。
ペルーを旅する列車の中では、具体的なアイデアを練っていた。

「代表チームの監督だよ。
釜本さんてどうだろう?」
釜本「こんにちは、釜本邦茂です。」
実際、釜本氏に監督を依頼し、実現することになった。
パリでは、中田自らの人脈を頼りに、
支援してくれそうな企業の元に、直接足を運んだ。
世界を股にかけ、着々と準備を進めてきたのだ。

2ヶ月前、中田は、西アフリカ内陸部のマリ共和国を訪ねた。

プロジェクトがスタートする前に、
この国で、見ておきたいことがあった。
首都バマコは、国で唯一の水源、ニジェール川のほとりにある。

「ナカタ!ナカタ!」
中田の名は、ここでも知られていた。
「ナカタマリ!?何か、名前みたいだね。」
普段は漁師をしているという船頭も・・・
船頭「僕は、実は背番号7番なんだよ。」
中田:「俺もだよ」
船頭「知ってるよ、7番。えへへへ。」

この国は近年、大きな問題に直面していた。
元々マリは、国土の3分の1をサハラ砂漠に覆われているが、
その砂漠が急速に広がり、
かつてあった湖が消滅するなど、
水不足が深刻化しているのだ。
「近くの井戸から、汲んできたの」

20kgもある水の入ったバケツ、
その上、なんと、背中には赤ちゃんを背負っていた。
近くという井戸までは、約4kmの距離がある。
「1日、10回行き来するのよ。」

伝統的に女性の仕事だという水汲み。
しかし、その重労働が女性の体力と時間を奪っていた。
中田は、極度に乾燥した、ある村に向かっていた。
実は、ここには、
ミネラルウォーターのメーカーとユニセフが協力して作った
井戸があるという。
「※挨拶」
去年から「1リッター・フォー・10リッター」という
キャンペーンを展開している、ミネラルウォーターのメーカー。

日本の消費者が水のボトルを購入すると、
売り上げの一部が、水不足にあえぐこの国で、
井戸作りの資金になるという仕組みだ。
こちらは、半年前に出来たばかりの新しい井戸。
手動式のポンプで、地下水を汲み上げる。
深さ50mまで掘り下げることで、ようやく確保できる
透明な水だ。
中田「これは古い井戸?」

トゴ「ポンプが出来るまでは、この水を飲んでいたんです。」
手で掘れる井戸の限界は、10mほど。
そのため、村人は常に濁った水を飲んでいたのだ。
アフリカにいる何百万人という子どもは
水の色は茶色だと思っている。

「ちょっと信じ難いことだけど。
水の色は、透明だということを、1人でも多くの子どもたちに
知ってもらいたい、こんな茶色ではないということをね。」
中田「僕もそう思うよ」
マリでは、国民のおよそ半数が、
衛生的な水を確保できない状態にあるという。
「ひとつの井戸を作るのにどのくらいお金がかかる?」

「約1万ドル(100万円)ですね」
「それに加えて地下水脈を探す人件費や、維持していく
メンテナンス費ももう少しかかるよね。」
「井戸が出来たことによって、どんな変化があった?」
「すべてが変わった。この井戸が出来る前は、
常に病気の子どもがいた」
マリでは、実に、5歳以下の子どもの15%が、
寄生虫による下痢が原因で死亡しているという。
「子どもたちが下痢をしなくなったわ。」

「水には、メジナ虫という寄生虫がいて、それが体内で成長する
と足やいろんな所から、皮膚を突き破って出てくるんです。」
「顔とかも?」
「それどころか、舌から出た人も知っています。」
「80㎝から1mくらいになります。
「長いんだね。うわー。」
「それが出てくるときは、耐え難い激痛が走るんですよ。」
いつでも水が手に入るようになって、
村人の生活は大きく変わった。
作物も、常に栽培出来るようになった。

「何作ってるの?」
「名前、忘れちゃった。えー、なんだっけな。
シショーだ。シショー。食べるとおいしいよ。」

穀類の一種であるシショーは、村人の、重要な栄養源だ。
「井戸のおかげで、遠くの水汲みから開放されたわ。」
「日本とユニセフが、井戸をつくってくれたんだ。
でも実は、いま人生で初めて日本人をみたよ(笑)。」

ひとつの井戸で、人々の生活が劇的に変わる。
中田はそれを、自分の目で確かめた。
日本人がミネラルウォーターを買うことによって、
現在、マリ国内で、20基の井戸が作られている。
中田「このキャンペーンをやるときには、目立つボトルの色にした方がいいと思うよ。」
中田「水のボトルって、いつも青か透明だから、新しい色のボトルがあったら、わかりやすいじゃん。」

「そうだね。日本の人は何かしたいという気持ちはあるからね。」
中田「どうせ値段が同じなら、意味あるもの選ぶからね。」
そして、中田はさらにアフリカの奥深くへ。
中田英寿は、まさにいま、
新しい井戸を掘り進めているという村に足を運んだ。

バルキネルビ村。
この村に、まもなく待望の“井戸”が完成する。
この日、ポンプで水を汲み上げてみるというので、
たくさんの村人が、井戸掘りの現場に集まっていた。
そして…、午後2時。村人の見守る中・・・。
中田は、可能性を感じていた。

日本で、「何かできることをひとつ」すれば、
地球のどこかで、
人々のはじけるような笑顔が生まれることを。
「世界は広いですよ。
ていうのは、色んなものを見て、いろんなものを経験して、
で、それがチョイスとなって、次にやることを決める。
で、その時に、現時点での大きな話題、
やっぱりテーマっていうのは「環境」だったりして。
その環境というのは、緑だけじゃないないっていうところも
含めた色んな環境を、何かしていった方が、自分たちのためにも
いいよっていうのを何か…、僕が見ていろいろ思ったことを、
何か一つでも伝えて、その中でまた、もう一歩踏み出す人が
いたら、嬉しいなぁ、と。」
なにかできること、ひとつ。

世界中でつかんだヒントを基に、
中田は、自分の一歩を踏み出した!
中田さんの旅を紹介するこの「NAKATA×ZERO」企画も、この「アフリカ・マリ編」で4回目。
次回は、村尾さんによる、中田さんへのインタビューが中心となるようです。
そして、この2年間、中田さんの地球を旅した膨大な記録が、6月2日(月)よる9時半から
「中田英寿 僕が見た、この地球。 ~旅、ときどきサッカー」として放送になります。
訪れた国の名前をずらっと並べただけで、とんでもない数。
これを2時間でどうやって皆様にお見せするか、
ディレクター2人は頭を悩ませながら、編集室にお篭りの日々が続いております。
というわけで、今回の同行日記はディレクターの小堺ではなく、
旅の一部に同行しました私、プロデューサーの渡辺が書かせていただきます。
水不足のマリに、きれいな水の出る井戸を作る。
そんなプロジェクトに、わずかではあるけれど日本人の力が生かされていたんですね。
べつにミネラルウォーターを買うことだけじゃない、
そうやって遠い国の出来事、人々に僕らがちょっとでも関心を持つようになれば、
なにかが変わるのかもしれない・・・。
中田さんの言う「なにかできること、ひとつ。」には、
旅のなかでいくども経験した、そんな思いが込められているのだとおもいます。
私も、旅のエピソードをひとつ。
アフリカ南西部の国ナミビアの首都ウィントフックに到着した中田さんは、
そこから小さなチャーター機で北部の僻地カオコランドを目指すことになりました。
旅に同行させていただいる撮影隊は、できるだけ少ない人数での同行を心がけていますが、
それでもこの国は、カメラマンや撮影コーディネーターなどで総勢10人弱。
やってきたチャーター機に、撮影機材や私物をどんどん積み込むのですが、思うように入りません。
リクエストしていたものより機体がずいぶん小さいのです。
これだと燃料を食うから、無理に飛んでも途中でガス欠を起こす・・・。
荷物を一部空港に置いていこうか、いや積み方を変えればなんとかなるのでは、
と、パイロットやスタッフで議論がはじまります。
この様子をしばらく眺めていた中田さんが一言、「じゃあ、置いていこう」。
え???
荷物をじゃないんですね、人間を置いていけばいい、と。
そうすればその人間のぶんの私物も積まなくてすむし、空いた座席も荷物用のスペースになる。
では、誰が降りる・・・?
ディレクターとカメラマンは必要ですね。
そしてコーディネーター、もちろん中田さんも。
「要らないでしょ?」と言われたのは、私と、もう一人中田さん事務所のK氏。
たしかに順番でいけば、この2人なんだろうな・・・。カメラは回せないし、現地通訳にもならないし。
せっかく来たんだから皆で飛びましょう!と主張するパイロットやコーディネーター。
そんな光景を横目に、スーツケースをゴロゴロとターミナルへ向かう私とK氏。
だだっ広い滑走路をトボトボ歩く姿は、往年の名番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」の敗者さながらでした。
無事飛び去る機を見送った私とK氏は、仕方がないので宿探し。
といっても、本来泊まるはずのなかったこの街の情報などなにもないので、
あてずっぽうでいくらか大きめのホテルに飛び込み、居残りなら居残りらしくと開き直って、
昼からワインと生牡蠣をやりながら今後の方針を相談しあったのでした。
うん、居残りも意外と優雅なもんだ。
一方、中田さんが向かったのは、アンゴラとの国境沿いの地、カオコランドに住む孤高の民ヒンバ族の村。
ここで中田さんは、生涯初の××を体験することになります。
その時の、様子は6月2日の放送でたっぷり紹介しますので、お楽しみに。
中田さんの素顔がのぞける、貴重なロケになりました。
居残り組の2人は、快適快適、むしろ飛べなくてもうけものだったんじゃないかーなんて
呑気なことを言っておりましたが、晩になると、この小さな首都の街すべてが計画停電で真っ暗に。
ヒンバ族の村で使うかなと思い持参した懐中電灯が、まさかここで役に立つとは・・・。
2日後に中田さんと再合流してからは、のんびり居残り@快適ホテルの罰でも当たったのか、
私、日本帰国まで延々と謎の背中痛に悩まされ、スタッフの足を引っ張り続けることになったのです。
さて、「置いていこう」と決めた中田さんの決断を聞いて、どう思われたでしょうか?
冷たいと思われた方もいるかもしれません。
でも、滑走路であれこれ悩んでいるわけにはいかないのです。
駐機料もかさみますし、旅にいちばん大切な「時間」が浪費されていきます。
あの瞬間、いちばん正しい判断は「誰かが残る」ことなんです。
無理に飛んでガス欠を起こしたり、何時間も悩み悩んで積みなおしを試みたり、
そんなことをしていては、肝心要のヒンバ族の訪問に大きな支障がでてきます。
遠路はるばる、時間もお金もかけてやってきたのに、こんなばかばかしい話はありません。
どうしても、なんとかもう少しがんばってみようよ、せっかくだし皆で行こうよ、
という雰囲気になりがちですが、これはまったくの本末転倒。
中田さんの状況判断が、撮影を成功へと導いてくれたのだと、今でも思っています。
出演者と一緒に番組を作るということは、決して仲良しクラブでやるということではないんだ、
そう、改めて教えられたのでした。
いつも周りが見えていて、迷いがなくて、先を読む力が図抜けている、
そんな中田さんのプレースタイルに惚れ惚れと見入っていた記憶があります。
そうか、状況判断とはこういうことなんだ。
今回の一件で、中田さんのそういう面に触れることができたのは幸せなことでした。
中田英寿の武器である状況判断能力、それはきっと引退後も、
いや、生涯を通じて失われることはないのだろう、そんなふうにおもいました。
その中田さんが出場予定の+1 FOOTBALL MATCH(6月7日)。
その状況判断の力、メンタルの力できっとなにか魅せてくれるはずと、今から期待でいっぱいです。
でもその前に、僕らの仕事は6月2日の番組を完成させること。
こちらもどうぞご期待ください!

