板谷由夏 LIFE

2011年10月21日

LIFE ~がんと心 ピアサポーター~


今月。
私は去年取材した、
乳がんと闘う女性に会うため、

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奈良県立医科大学付属病院を
訪ねました。

 
板谷「患者サロンなごみお気軽にご利用下さい」



これは患者サロンと呼ばれるがん患者や家族の集まり。
月に2回行われています。


ここに参加しているのが、
乳がんと闘うのんままさん43歳。

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のんままさん「告知を受けたときは娘がまだ生後7か月だったので、
        すごくつらい思いをしてきたんですけど、皆さんと
        ここでこうやって出会うことによってすごく元気をいただいて」


がんの経験を笑顔で話せるように
なっていたのが印象的でした。


板谷「こんにちは はじめまして板谷と申します」


前回お会いしたのは去年12月。
のんちゃんのママだから
”のんまま”と呼ばれています。
がんの治療をしながら
”うつ”と闘う不安な思いを取材しました。
        

その、のんままさんが今、
新たな挑戦をはじめていました。

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板谷「のんままさんが首からさげているのが、奈良県
   がんピアサポーター」


のんままさん「講習を修了したという修了証になっています」


板谷「ピアサポーターとは」


のんままさん「ピアとは仲間という意味なんですけど、
        同じがん経験者である私たちが不安を共有したり
        相談事を聞いたり、自分の経験からわかることを
        お話してみり、そういう活動をするものです」


がん患者や家族の相談を受ける”ピアサポーター”になれるのは
主にがんの体験者です。
「がんの基礎知識」や「カウンセリング」などの知識を身につけ、
自身の治療経験を生かして不安を軽くする”心のケア”を行います。

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のんままさんが、ピアサポーターを目指した理由。
それは、苦しい闘病生活の中で出会った患者仲間の存在にありました。


乳がんと告知されたのは去年春。
のんちゃんが生後7か月の時でした。


つきつけられたのは、10年後の生存率25%という厳しい数字でした。


のんままさん「生きたいイコール死にたくないなんで、
        死にたくないって思うと、うん、つらくなる…」


”死”を意識する毎日で、心は、むしばまれていきました。


のんままさん「精神科でもらったお薬をのみます」


がんの治療と平行して精神科に通院。
”うつ”と闘ってきました。


のんままさん「パパーって」
のんちゃん「はい」

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”幼いのんちゃんのために生きたい”と、意気込めば意気込むほど、
”うつ”は深刻になっていきました。
のんままさんの日記にはがんを受けとめきれず薬を過剰摂取していく様子も
残されています。


ついには、自分の腕を傷つける『自傷行為』まで。


のんままさん「痛みがあると気が紛れるかなともう、はあーっとやってしまいましたね」


そして、孤独な夜には「出来なくなる事」ばかり考えてしまします。
のんままさんはつらい気持ちを自分で記録していました。

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のんままさん「手術したら胸に傷ができるからもうお風呂にも
        行きたくないし、その前に一回行こうかなと思ったん
        ですけど髪の毛もないし…(涙)
        女の子が生まれたらお風呂一緒に行きたかったです」


今年3月。
ようやく、がんを摘出する手術ができることになりました。
のんままさんが選択したのは、がんが転移している胸の筋肉も切除すること。


医師「やっぱり筋肉をとってしまえば筋力は落ちますから腕が上がらなくなる」
のんままさん「子どもは抱けますか」


もしかしたら、のんちゃんを抱っこできなくなるかもしれません。
右腕が上がらなくなったらどうなるのか。
手術が近づくにつれ、不安は高まります。


のんままさん「筋肉をとるデメリットの話はやっぱり、あとあとの
        ことを思ってきっちりいってくださってると思う
        んですが、どうしても怖くなる…」


手術の日。


単身赴任先から帰省した夫と共に手術室へ向かいます。
 

のんままさん「おねがいします
         おねがいします」


4時間後。
手術は無事成功。胸や筋肉に残っていたがんを取り除くことができました。
筋肉を切った右腕は…
 

のんままさんの夫「のんまま頑張れのんまま頑張れ
           上がった上がった上がってる上がってる」


のんちゃんをもう一度抱っこするために。
懸命なリハビリが続きました。

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のんままさん「どっこいしょ、できた。やった、やったのんちゃん
        抱っこできた~」

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のんままさん「いててて」


抱っこは手術をしていない左腕を使ってが、やっと…。
今も右腕のリハビリを続けています。


そんな、のんままさんの心を支えてくれているのが、がん患者の皆さん。
がん患者の先輩として”ピアサポーター”がのんままさんの相談に
のってくれています。

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のんままさん「私、生存率結構
         低かったんですよ」


声「そうやろね」


のんままさん「だから本当にだめかと
         思って落ち込んでしまった
         んですけど」


ピアサポーター松浦博子さん「生存率は生存率だ。あれは
                   統計上の問題であって」

 
ピアサポーター松浦博子さん「生存率におびえて毎日
                   生きてたらねうつになる」


のんままさん「そうなんですよ。そうだったんですよ最初。
         しんどかったんです~」


次第に、のんままさんも、同じピアサポーターになって
患者を支えたいと思うようになりました。


板谷「心のケアって言葉にしてしまうといろんなことを考えちゃい
    ますけど、やっぱり人なんですね。」


のんままさん「特に心はそうだと思います」


のんままさん「お薬とか、病院での治療ではそこまでできない
          領域ってあると思うんです」

 
のんままさん「本当に奥底まで心の中をわかることができる
         仲間同士だから癒やしてほしい言葉も聞けるし、
         かけられるようになりたいと思っています」


板谷「今、何が一番楽しいですか」


のんままさん「生きてることが楽しいです」

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のんままさんの次の目標。それは、1月の市民駅伝に
出場することです。


のんままさん「病気がくれた人との出会いはすごい大きかった」
         「体も心も乗り越えてきたかな」

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仲間たちと出会い、今、新たな目標へ向かって再スタートを切りました。

投稿者:板谷由夏

2011年09月15日

LIFE ~震災から半年 家族への思い~


今週日曜。
気仙沼市で慰霊祭が行われました。


「黙祷」

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午後2時46分。


気仙沼市で亡くなった方は1015人。
いまも391人の方々が行方不明のままです。
(9月13日現在)


会場に、以前取材したご家族の姿がありました。


藤沢秀文さんと、息子の大也さん。

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妻・優子さんを亡くしました。


7月。
親子2人で、避難所生活を送っていました。


入浴や食事など決められた時間に追われ、
消灯後、だいやさんはひっそりと勉強していました。

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板谷「3月11日から半年たちましたけど、
   きょう、どういった気持ちで
   迎えたのか聞いてもいいですか」


藤沢さん 「本当に半年たったのかと思う
       アッという間な半年間でしたね。
       避難所で5か月いましたけど、
       なかなか悲しんでいる暇もなかったし、
       人前で悲しんで泣く場所でもなかったしね」


避難所に居る間。
週に1度の休みになると、必ず向かう場所がありました。

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藤沢さん「なんか不思議とね、妻のところに行くと、
      我が家に帰ってきた思いがするんですよ」


妻・優子さんが土葬されている墓地。
唯一、心が安まるという場所です。
奥様に、語りかけました。


藤沢さん「そういえば、大也の三者面談が
      来週あるんだよね。
      なんだかさ、すごく気が重いんだけどさ。
      一生懸命勉強しているから、
      まあ結果はわからないけど
      頑張っているから心配しないで」

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藤沢さん「いろいろこうやってね、
      会話していくんですよ。
      いろんな話をしたりしてね。
      まあ、会話といいながらも、
      全然一方通行で返ってはきませんけどね」


藤沢さんは先月から息子と2人、
アパートでの新生活を始めています。


藤沢さん「あとは、なんとか本当にね、
     妻が本当の意味で安らぐ場所にね、
     移動して、火葬して、埋葬したい。」

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大也さん「ただ、生きているだけの
     半年だったような気がするので
     中身をもったこれからにして
     自分の母も含めて、なくなった人の分も
     しっかり生きていきたい。」


藤沢さんたちが生活していた避難所です。


板谷「ずいぶん減りましたね」


7月に取材した時、避難していた方は、64人。

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仮設住宅などへの入居が進み、現在は17人となりました。
(9月14日現在)

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町の様子も、少しずつ変わっています。


板谷「船もなくなって・・
       道ができましたね」

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4月に取材した鹿折地区。
この場所には船が乗り上げ、道はガレキでふさがれていました。

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震災から半年たったいま。
町は復興に向け、少しずつ、動きだしています。


一方で、半年たったいまも、家族を捜し続ける方がいます。


板谷「こんにちは」

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家族4人で暮らす、小野寺栄子さん。
自宅は海にほど近い場所。


小野寺さん「玄関は残ったんだけど、
       ここまでですね、(水が)入ったのは」


天井付近まで水に浸かった1階。
いまも津波の爪痕が残る自宅で生活を続けています。

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小野寺さんは市内に住む親族8人を亡くしました。
父親(松之進さん・80歳)はまだ、みつかっていません。


小野寺さん「死亡届けは、出しました。
       いくら死亡届けだしても、
       やっぱり・・・」


板谷「見つけてあげたい」

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小野寺さん「見つけなければ、
       私の仕事だから。見つけるのが。
       自分の仕事として、
       やっぱり見つけないとね。」


小野寺さんは、毎日父親を捜しに出かけます。


小野寺さん「今日見つかるか、
       手がかりがあるかと思えばね。
       親だもんね。」


情報を得るため、向かうのは、市内の遺体安置所。


小野寺さん「じゃ、ここで。いってきます。」

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しかし、この日も手がかりはありませんでした。


板谷「また、毎日が始まりますけど・・」


小野寺さん「区切りのつかない、区切りをつけて。
       行ったり来たりで・・・
       進んでいかないとね・・・
       本当にみんなから応援もらってるから。
       物資なり、言葉なり、
       本当にありがたいですよね。
       だから、がんばらなくては。」

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投稿者:板谷由夏

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